銀様生活 2 |
ID:bjaPfkJC 氏(初出ID) |
---|
暑い。暑いと言うか蒸し暑い! どうして俺の部屋の故障しているクーラーを修理に出さなかったのか、 去年の俺自身を恨みつつ、眠れないので居間に向かう。 時計を見ると午前2時、もちろん銀様は寝ているので慎重にドアを開けて入る。 「あら…?」 「銀様、起きてたんだ」 銀様はソファに何もするでもなく座っている。 「銀様も眠れないの?」 銀様は背伸びしながら答える。 「あまりにも暑かったから、部屋中の窓を開けさせてもらったわよぉ」 確かに。俺の部屋よりは幾分風通しがよいので、涼しい。 キッチンに向かう。 冷蔵庫に入っているジュースを取り出し、小さめのグラスに氷と一緒に並々といれて飲む。 「銀様も飲む?」 「いらないわぁ」 吹き込んでいた風が銀様の髪をなびかせる。 「うわぁ…やっぱりここ、いい風がくるね。涼しいよ」 と言いながら、俺はソファに座る。 「この風が無かったらきっと私倒れてたわぁ…」 銀様って暑いのニガテだったんだ…まぁ、ドレス着てるからかな? 「もうちょっとラフな格好とかする?半袖服とか明日にでも買ってこようか?」 「そぉねぇ……いや、んー…やっぱりこのままでいいわぁ」 遠慮しなくていいのに。「別に遠慮なんてしてないわ」 少し強めの風が吹き込む。 少し肌寒く感じてきた。 銀様は相変わらず深く体をソファに沈めている。 「ねぇ、銀様。ちょっと傍に寄っていい?」 「ダメよ。寄らないで」 即答だった。 そう、ハッキリと銀様は言いながら、肩と肩が触れるぐらい近くに来て座る。 「貴方が傍まで来たら、私のスペースが狭くなっちゃうでしょぉ?」 フフと笑顔を浮かべて俺の顔を見上げる。 「銀様、ずるいよ」 「レディーには気を使うものよ」 銀様が、俺に軽く頭を預けるように寄りかかってくる。 「ほんとにいい夜ね。このまま寝ちゃおうかしら」 ソファに足を上げて俺を枕代わりにする格好になる。 「これで寝られたら、俺は座ったままだよ?」 「あら、嫌なのぉ?」 「べ、別に嫌じゃないけどね」 「なら文句は言わないことねぇ」 瞼を閉じている銀様を見ていると俺まで眠くなってきた。 無防備にも俺の膝で完全に眠りについた銀様の寝顔が何故か微笑ましく思える。 ちょっとは俺も信頼されてるのかな? 時計をみると午前3時。 静かな銀様の寝息を聞きながら俺も瞼を閉じる。 --- 「なんかジュースないのぉ…」 ソファから身を乗り出して、うなだれた表情の銀様が話しかけてくる。 「ジュースなら、冷蔵庫に入ってると思うけど?」 ソファの後ろに設置している椅子に座り、目の前のテーブルに三冊ほど積んでいる小説を順調に消化しながら俺は答えた。 銀様はフラフラと冷蔵庫に向かう。 冷蔵庫を開けてあぁ〜気持ちいぃわぁ。とかちょっぴりセクシーな声を出しているが、俺には冷蔵庫内の温暖化が気になって仕方が無い。 30秒ほど涼んだ銀様が「勝手に貰うわよぉ」と、手を突っ込んで掴んだ模様。 うん。いいよ。そう返事して俺は手元の小説に目を落とす。 「んんー!とても冷えてるわぁ」 銀様の嚥下する音が俺にまで聞こえてくる。 「もう一本もらうわよぉ♪」 再び銀様が冷蔵庫に向かい品定めしているようだ。 「ウフフ、これが美味しそうね」などと独り言をもらしながら銀様が二本目に手を伸ばす。 とりあえず読み終えた小説を脇に置き、俺もジュースを飲もうと立ち上がる。 冷蔵庫を開くと、冷気が顔にかかる。楽園のような快感を一瞬味わったが、電気代がもったいないのでうかうかしていられない。 コーラかオレンジかで悩んだが、オレンジに決めた。 コップに注いで、一気に飲んで、ペットボトルを冷蔵庫に戻す。 喉も潤したことだし二冊目に行くかな。そう思い椅子に座ろうとしたときだった。 「ちょっとこっちに来なさいよぉ!」 え、何!?銀様? 「いーから、早く来なさい」 少し怒っているようにも聞こえる声で銀様が呼ぶ。 当惑しつつもソファに向かう。 「ほら、ここ、ここに座りなさい」 と銀様はソファに横になりながら、すぐ傍の床を指差す。 おどおどしつつ、言われたとおりに銀様の傍に座る。 「よぉし、ちゃんと来たわねぇ」 上体を起こし、突然俺の首に手を回して抱きついてきた。 そのまま銀様は俺の頭をがっちりと、腕と胸とで押さえながらソファに引き倒す。 「ちょっと!銀様、何、何なの?っていうか変だよ」 「私が変?なに変なこと言ってるのよぉ。まったく、ホントに貴方はおばかさんなんだからぁ。 貴方みたいなおばかさんはずっと私の処に居なさぁい」 今度は、俺の頭を撫でながら「しょうがないから私が居てあげるわぁ」 とか、「ホント、貴方っていつも控えめに私に寄って来るんだもの、逆に私のほうが恥ずかしいわぁ」 とか、明らかに変なことを言いながら頬を擦り付けてきたりする。 俺は悟った。今は言葉が通じないことも、普段の銀様じゃないことも。 大人しく銀様が落ち着くのを待つことにした。 --- 銀様の両腕のホールドが弱まったのを感じると、ちょっと名残惜しいが離れる。 眠ってる…? くー、と赤ら顔の銀様が寝息を立てていた。 先程までは驚いて気付かなかったが、少し酒臭い。 足元にチューハイの空き缶が二本転がっているのを発見した。 ジュースはペットボトルでしか買わないので、銀様がコップを使っていなかったことを気付かなかった俺が迂闊だった。 空き缶を拾って、ソファでなにやらムニャムニャと言っている銀様をみた。 「わ…私がそんな、ことを…!?」 「うん…。他にももっと色々なことを…」 お酒が入っていないのにも関わらず益々上気してゆく銀様の顔色を楽しむ俺が居た。 「『私は貴方をこんなにも愛しているのに、どうして気付いてくれないの!』とか…言ってたよ…」 嘘だ。本当はこんなことなんか言っていないが、俺は迫真の演技で顔を赤くさせ、俯く。 「嘘よ!それは夢の中では言ったけど、絶対に私は言ってないわぁ!!」 銀様が身を乗り出して答える。 「へ……?あ、うん…嘘だけど、嘘だけどね、え…銀様?」 銀様はハッと目を丸くして息を飲み込む。 見開いためが白黒しているが、それは俺も同じだ。 「それは、その…夢の中の勢いってのがあるでしょ…だから、それで――って、なんでこんなこと貴方に説明してるのよ!」 銀様は先程まで枕代わりにしていたクッションを掴んで俺に思い切り投げつけてくる。 「さっさと買い物に行って来なさい!」 半ば強引に追い出され、俺は目の前で乱暴に閉められた玄関を見つめてしばらく呆然とした。 ドキドキと物凄い速さで動く心臓を収めるために、すこしそこら辺でもぶらつこう。 すぐにでも戻りたい気持ちを抑え、殺人的な熱線を放つ太陽に焼かれながら歩く。 --- 夏野菜グラタンを夕食に食べてみた。 銀様は最初「手抜きじゃないのぉ?」とか何とか言ったが、気に入ってくれた。 いや、ほんとは手抜きなんだけどね、作ってみたら意外に美味しかったからいいか…。 洗い物を済ませてソファに座る銀様の隣にお邪魔する。 朝方に雨が降ったおかげで、今は心地いいほど涼しい風が入り込んでくる。 せっかくなので銀様に話しかける。 「銀様、今日メチャクチャ涼しいからさ、ちょっと二人で散歩でもしない?」 銀様はテレビを見たままで、「貴方、周りの人間から相当変な人間だと思われるわよ?」と短く答える。 「抱っこ前提じゃなくてですね…」 「ちょっと、ほんとに大丈夫かしら…」 俺の背後に廻って正面を伺いながら銀様がこそこそと歩く。 「大丈夫だよ。ほら、全然人いないし、格好は確かに目立つけど問題ないと思うよ?」 「いざとなったら飛んで逃げるわぁ」 「なにからさ」 近くのコンビニまでの散歩である。 それなりの田舎なのですれ違う人が殆ど居ない。 「そういえばまだこの町は観まわったことないわねぇ…」 普段からこんな感じなの? フイッと銀様が俺を見上げながら聞いてくる。 「近くに学校とか結構あるけど、昼とか夜とかはこんなもんだよ。 なんなら今度昼に空から観回してみれば?」 「やぁよ。暑いもの」 「じゃあ水着で」 「…おばかさん」 公園を抜けて交通量の多い道路を横切る。 すぐにコンビニがある。最寄でも歩いて10分。 なんという田舎。 「人が多いところはそんなに好きじゃないしね」 なに一人でブツブツ言ってるのよぉ。 不満げな銀様にゴメンと謝る。 --- 「もう全部食べちゃったわぁ」 「え!?もう食べちゃったの?どれほど食べ」 まで言ったとき、銀様の踵が俺のつま先に食い込み、俺は痛みに息を詰まらせる。 「レディーにそんなこと言うもんじゃないわぁ」 「レディーはきっと、もっとお淑やかなものですよ…」 つま先をギュッと曲げたりして、俺は足の無事の確認をした。 折角だからアイスでも買って食べようか。 コンビニに行くまでに銀様に聞いてみた。 「そうねぇ、丁度いいかもしれないわねぇ」 「どんなアイスがいい?」 んー。と真剣な面持ちで目を漂わせながら考える銀様を見て、思わずニヤついてしまう。 「バニラは食べ飽きたわぁ、チョコ…いや、もっとさっぱりとした方が…」 銀様はたっぷりと考えて「貴方に任せるわぁ」 責任重大だな俺。 家に帰るまでに溶けてしまうので、途中横切る公園で食べることにした。 人気が全く無い公園のベンチに座る。 「はい、銀様」俺は銀様に先程買ったものを手渡す。 「なにこれ?」と見たことがないというような声である。 「やはり夏と言えばカキ氷でしょ、結構さっぱりしてるしさ、おいしいよ」 続いて銀様に木製スプーンも渡す。 「いちご味ねぇ、まぁそれなりに美味しそうね」 と言っていたのがほんの2分前。 頭が痛くなるんじゃないか?と思うほどの勢いで銀様が口へ運ぶ。 全く頭の痛みを伴わない事に、さすが薔薇乙女だ。と思ってしまった。 いや、このことを言ったらきっと銀様が怒りそうだ、心の奥にそっと押し留めていよう。 --- 銀様に踏まれたつま先がジンジンし、続いて口に運んだカキ氷(レモン味)が頭を刺激するわで、上下同時の痛みに身悶えしながら治まるのを願う。 「そんなに踊りたくなるほど美味しいの?」 首をかしげて俺を覗き込む銀様だが、この痛みは説明しても理解できまいっ! あー、よし、治まってきた。シャクシャクと削ってスプーンに載せる。 「私にもちょっとちょうだい」 「いいけど…全部食べないでよ?」 と言ってカップを銀様に差し出すが、受け取らない。 「貴方が食べさせてくれるんじゃないのぉ」 「俺が恥ずかしいよ」 「言い訳は後。さっさとしなさい」 お願いしつつ命令口調はどうかと思うが、あーんと目を閉じて口をあけている銀様を見ていると胴でも良くなった。 恐る恐る銀様の口にカキ氷を運ぶ。 「…こっちの方が美味しいじゃない、やっぱり残りも貰うわぁ」 「絶対ヤダ」答えつつ一口食べ…これ、そういえば間接―――。 「なに顔赤くしてるのよ」 「い、いい、いやなにもないよ」 俺は慌てるように食べた。 レモン味。 --- 「ただいまー」 帰ったよー。と言いながら居間に入る。 おかえりなさぁいという、いつもの銀様の返事もなければ姿も無い。 「あら、今帰ったのね。とても遅かったじゃないの。あんまり暇だったから貴方を探しに行こうとしてたわぁ」 音もなく銀様がスッと窓枠に立っている。 「あぁ、ごめん。ただいま」 「ホントに貴方は謝ってばかりね」 「ごめん」 「全く…」銀様は、頬を少し膨らませる。 銀様は、俺が持っている見慣れない袋に気付いて近づいてくる。 「これなぁに?」 「ほら、前に銀様がいらないって言ってたけど、そのドレス洗濯とかする時とかにやっぱり代えの服が必要だと思ってね」 見てみて、と袋を銀様に渡す。 「どぉ?似合ってる?」 目の前で銀様が白いワンピースを着て、くるりと回ってみせた。 折角だし今日このドレスを洗濯して貰おうかしら。と銀様が早速この服を着てくれたのだ。 「予想以上にすごく似合ってるよ」 ついでに少しばかりサイズが大きかったが、麦藁帽子と、サンダルも買っておいた。 うん、どこからみてもお嬢様って感じがする。 普段銀様は、黒服だったので目の前の銀様は少し目に眩しく感じる。 ブーツやらドレスやら着込んでいたときにはそんなに見えなかった関節部分目立つが、それもまた… 「そそる?」 ニヤッと悪戯な笑みを浮かべて、銀様がワンピースの裾をちょんと摘まむ。 膝の関節の少し上、太股を見せつけてくる。 「いや、そんなに」 「ざぁんねん」 銀様がパッと手を放して、白く艶やかな光景に幕が下りた。 「やっぱりそういう服の方が涼しいでしょ?」 「段違いにスースーするわぁ」 まぁ、ドレスだったからね。 「なんならそれで外に出てみたら?」 「折角貴方が買ってくれたのに、汚れちゃうかもしれないじゃない」 そういえばそうだ。 「ねぇ、ところで、ご飯まだなのぉ?」 「……食べこぼしたりしないでよ?」 私が一度だってそんなことした事があったかしら?ねぇ、聞いてる? 背後からかかる銀様の声を聞き流し 「なにか食べたいものある?」リクエストを聞いてみる。 「すぐに出来ておいしいもの」 一番困る選択である。 俺は少しだけ考え、「じゃあオムライスね」卵を冷蔵庫から出して、割りつつ、チラリと銀様を見る。 テーブルに座った、いつもよりも眩しい微笑みが見えた。 --- 「おはよ…銀様」 「あら、どうしたの?酷い声ね」 テーブルに着いていた銀様がぴょこんと飛び降りて俺の元に来る。 「ちょっとね、窓全開で腹出して寝てたらこうなった…」 ちょっとしゃがみなさい。と銀様が言う。言われたとおりに膝立ちになる。 銀様は手のひらを俺のおでこに当てる。ヒンヤリと気持ちいい。 「貴方、結構熱出てるじゃない!バカじゃないの!?」 「ん…?やっぱり出てた?大丈夫大丈夫。こんなの適当にしてたら治るよ」 今から朝食作るよ。ちょっと遅くなっちゃったけどね。 そう言ってキッチンに向かおうとする俺に、銀様が後ろからピンポイントで膝を蹴る。所謂ヒザカックンという技である。 その場でへたり込むように片手を着いてバランスを崩した俺に、銀様がすかさず背後から首に両腕をまわしてくる。 「朝食なんてどうでもいいわぁ。いいから貴方はしっかりと寝ておくのよ?わかったわね!?」 と耳元で囁くように言った。 「ちょ…銀様……分かったけど、それなら口で言ったらいいんじゃないかな」 「口で言ったって全く聞かないでしょ?もしそれで朝食作るのに頑張りすぎちゃって、ポックリ死なれちゃったら困るわぁ」 「その程度じゃなかなか死なないと思う。…それと病人に暴力はいけ」 「いいからさっさと寝なさい」 と、言う訳で銀様のお言葉に甘えて、今日は休んで風邪を治すことになった。 「ウフフ…じゃあ私がちゃぁんと貴方の看病をしてあげるわぁ」 丁重にお断りしたのだが銀様が全く聞き耳を立てない。 「そぉねぇ、貴方の部屋だとちょっと遠いから、ここのソファで寝てちょうだい」 半ば強引に銀様が俺をソファに押し倒す。 「寒い?暑い?寒いわよね。風邪だもの。ちょっとまっててぇ」 俺の返事も待たず、銀様がどこか楽しそうな足取りで俺の部屋に向かう。 昨夜俺が蹴飛ばして寝ていた、薄めの布団を引き摺ってきた。 さらに片手に枕も持ってきてくれたところを見ると、とても気が利くというかなんというか…。 枕を頭とソファの間に差し込んみ、ふとんを丁寧に俺にかぶせてくれた。 「ありがとう銀様」 「お礼なんていらないわぁ、これでツケは無しにしてもらうから」 いつぞやのことが思い出される。 銀様はテーブルから椅子を持ってきて、俺のすぐ横に設置する。 銀様はそこに座ってちょっと心配そうな、どこか嬉しそうな表情を見せる。 つきっきりで看病してくれるらしい。 今日一日銀様に甘えようかな。そう思った午前10時だった。 続く。 なにせ時間が(以下言い訳につき省略) 銀様かわいいよ銀様。 --- ………ん。 「あ、ごめんなさぁい。起こしちゃった」 俺の額には乗せられたばかりの冷え冷えのハンドタオルがある。 「ありがと、銀様」 「ちょっとはマシになった?」 「うん。気分が結構良くなったよ。銀様のおかげかな」 フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。 しかしその横顔が嬉しそうである。 「そう思うなら態度で示してちょうだい」 「どうすればいいかな」 キスして。そう短く銀様は言って俺に顔を近づけてくる。 退いた熱が再び戻ったと思うほど顔中が熱くなる。 「え…あっ、その…っ!」 「冗談よ。おばかさん」 しどろもどろな俺を横目にクスッと、笑い声を漏らした。 「なんでかな。やっぱり風邪とかで弱ってる時とか、傍に他人が居てくれると落ち着くよ」 椅子に座ったまま、銀様がジッと俺の目を見てくる。 俺もその赤い目を見返しながら続ける。 「いままで熱とか出たらさ、そのまま寝ちゃえとかって思って、1、2日ぐらい悶々と過ごすんだよ」 銀様が膝の上に両手を乗せている。そこへ俺が片手を伸ばし、銀様の手に触れる。 「銀様。君が居るだけで、こんなにしんどいのに全く苦じゃないよ」 「貴方が私に頼りっぱなしになったら、即刻置いて出て行くわね。本来貴方は私に仕えるべき身なのよ?」 そりゃそうだ。俺はフフとむせるように笑う。 「けど、たまには、ほんの少しよ?ほんの少しだけは私も貴方に頼られたいかもしれないわぁ」 そんなときは遠慮なく言ってね?椅子から降りた銀様が俺の頭を撫でながら言う。 ひんやりと冷たく感じる銀様の手が妙に気持ちがいい。 瞼の上から目を優しく撫でられたら、一分以内に寝てしまう自信がある。 「熱がちょっと退いたからって調子に乗っちゃだめよぉ?」 さっさと寝なさぁい。そう付け加えて銀様が、俺の額に乗っている乾きかけたハンドタオルを取って、台所に冷やしに行った。 病気になったら、妙に周りの人が気遣ってくれる。 優しく感じる。 意外にこういうのいいかもね。 そんな事を考えていると銀様が、ハンドタオルをキチンと畳みながら戻ってきた。 慌てて目を閉じて、額のヒンヤリと冷たい感触を味わいながら眠りにつこう。 明日治ってたらきっと銀様にコキ使われるのかもしれない。 そのことを少し楽しみにしながら、俺の意識は眠りに落ちてゆく。 --- 「痛いです。痛い、ちょっと痛い痛いって!」 「あらぁ?こんなのでもうギブアップ?」 大丈夫よ。骨の折れる音が聞こえたらきっとすぐに柔らかくなるわぁ。 そんな恐ろしいことを俺の耳元で囁きながら、尚も背中を押してくる。 始めはほんのちょっとした一言。 「最近、足とか、腕とかよくパキパキなるんだよねぇ」 「身体堅いからじゃないの?」 「確かに全然前屈とかやって無いからね」 俺はその場で座って、揃えた両足先に触れようとする。 ほんの少し上体を倒した所でピクリとも動かない。 「ちょと堅すぎなんじゃないのぉ」 「銀様ちょっと後ろから押してくれない?」 「ギブです!ギブ!!ほらみて指付いてるよ!もう十分!」 「だぁからぁ!ボキッて音が鳴るまでよぉ!」 両太股の筋肉が張り過ぎてミシミシという音が聞こえそうだった。 これはマズイ! 前に伸ばした両足を引き寄せて何とか攣るのを回避。 「ちょっとぉ…。根性なさすぎなんじゃないの」 頭上から銀様の声と、光を反射するような銀髪とが俺に降りかかってくる。 「銀様。多分さっきのはあのままやってたら危ないと思うんだ」 「あれくらいなんともないわよ。ほんっとに貴方はバカねぇ」 パシンと俺の背中を一叩きする。 「銀様?じゃあ今度は俺が銀様の背中押すから前屈やってみようか」 え゛っ!というような声が漏れたのを俺は聞き逃さない。 「ささっ、どうぞお座りください銀様」 「いや、私はいいのよ。べつに身体が柔らかくたってなんのメリットもないもの」 俺に背を向けて窓から逃げようと歩き始める銀様の片手を掴む。 ちょっと、何やってるのよ!放しなさい!私は必要ないわぁ。 それでも放さない俺に怒ってか、俺の手を乱暴に引っ張る。 「わわっ!」 俺はバランスを崩し、そのまま前のめりに倒れる。 「痛っ」銀様が俺の下で声を上げた。 ……下? 片手は銀様の手首を掴んだまま、覆いかぶさるようになっていた。 「…放して」銀様の瞳が動揺を隠せないのか、小さく動いている。 「うん…」そう返事をしたが、動けなかった。 俺はずっと銀様の小さな唇をじっと見ていた。 どれほど柔らかいのだろうか。一体どんな感触なんだろうか。そんな事を考えてゴクリと生唾を飲み込む。 「ちょ、ちょっと止め、…な、さい……」 銀様の息が顔にかかるほどになった。 もう銀様は目を閉じている。若干顔が赤い。 --- 「銀様なんで目をつぶって震えてたの?」 ニヤケた表情を抑えることができなく、そのまま盛大に吹き出しながら銀様に尋ねた。 「誰でも絶対ああなるわよ!それ以前に貴方途中まで本気だったでしょっ!!」 顔を赤一色に染め、両手を固く握り締めた銀様が恥じらいと怒りを混合させた表情で俺を睨む。 「本気?一体なんのことでございましょうか」未だにニヤケた表情のまま、冷静且つ丁寧に返答する。 「バカバカバカ!おばかさん!!そこまで貴方がバカなんて知らなかったわ!!」 俺の腹辺りを何度もポコポコ殴ってくる。何気に回転を加えたパンチなので結構痛かったりする。 ちょっとからかい過ぎたかな。 「ちょっと期待した私がバカみたいじゃないの」 俺に聞こえないように呟く銀様に「何か言った?」と聞き返したらまた殴られた。 「貴方のせいだからね」 そう言って、すっと抱きつくように銀様が俺に引っ付いてくる。 「ちょ…銀様っ」 「これくらい貴方がやった『冗談』よりはマシでしょ?我慢なさい」 まさか今度は俺があんな恥ずかしい思いをするとは思ってなかったよ…。 銀様もそれほど怒ってたのかな? --- 「やぁ、おはよう銀様」 居間に入るとワンピースを着た銀様がおはようと返してくれた。 ンフ。と一笑いして、 「やっぱり白って似合うかしら」 と見せ付けるようにクルっと回る。 「うん。すごく似合ってるよ。白だから透けて見える胸と、あと下着がすごくセクシーだよ」 「えっ…嘘っ!!」 銀様は慌てて俺に背を向けて、おどおどした様子で確認している。 「うん嘘」 「なっ…!」 「いやぁ、いい朝だね。今から朝ごはん作るよ」 背後から銀様が俺の膝やら太股に蹴りを入れてくるが、残った眠気も飛ばしてくれる。 「貴方って本当にたまにつく嘘とか、冗談とか性質が悪いわね」 目玉焼きをフォークで目潰ししながら銀様が言う。 「そうかな?」 「そうよ。趣味悪いわぁ」 黄色に染まった白身を刺して口に運ぶ。 「銀様は嘘とか全然つかないでしょ?」 「それぐらい私だってつくことあるわよ」 貴方よりも上手なんだから。 と銀様は一言付け加えて牛乳を飲んだ。 「今日一日ゲームをしよっか」 「正直なことを言ったら罰ゲームって、なんか味気ないゲームねぇ」 溜息混じりに銀様が呟く。 「銀様?さっそく言った?罰ゲームだよ?」 銀様のだるそうな顔が一転。ハッと表情を強張らせる。 「今のはちゃんと嘘を言ってるわよ!『楽しみねぇ』って言う意味よ」 「そう、ならいいよ」 危なかったわぁと一人呟く銀様を見ながら、俺はニコニコと微笑を浮かべる。 銀様も俺がずっと笑顔で見つめてくることに気付いて、用心深く声をかけてくる。 「な…なんなの……?」 「いやぁ、銀様って本当に可愛いなって思って」 「そ、そう?ちょっと照れちゃ………今の褒めて無いわよね」 一瞬乙女の恥じらいを見せた銀様が、たちまち禍々しいほどの殺気を放ち始める。顔はニコリと微笑んでいるのが怖い。 もう一度軽くからかっておこうと思ったのだが。このままでは俺の命が危うい。 「いえ、今のは…ついルールを忘れて言っちゃったんだよ」 言いだした人が真っ先に負けるなんてバ…お利口さんすぎるわねぇ! 銀様が先程とは違い、優雅に高笑いを上げる。 「そぉ。じゃあ貴方の負けね。じゃあ罰ゲームわぁ――」 「どもー。おはようございます!いい朝ですね」 老婆が引き摺る足に無理をして、早足で去ってゆく。 「あ、お仕事ですか。頑張ってください」 サラリーマンが怪訝な顔で新聞に目を落としながら無視を決めこむ。 「やぁ君たち。おはよう」 学校へ登校する女子集団が一瞬で黙り込み、十メートル離れたところで一斉に盛大に笑う。 「それにしてもいい天気ですね」 子供をつれた女性に挨拶する。 子供が俺を指差して何か言っている。母親が諭してそそくさと去ってゆく。 はぁ…溜息をついて窓を見る。銀様の顔がチラリと覗いていて、とても楽しそうな表情である。 --- 「挨拶ってとてもいいことだと思わない?」 銀様満面の笑みで迎えてくれた。 「いや…挨拶は、うん、知らない人に無闇に言うもんじゃない」 「あら、まだ挨拶の良さが分からないのぉ?もう一度行っとく?」 「挨拶っていいものですねっ!」 銀様の提案した「家の表で挨拶する」罰ゲームが終わった。 たっぷり一時間やってやったぞ!妙な達成感があった。 しかし、 ただの挨拶だけなのにどうして俺は疲れきっているのか。 ただの挨拶だけなのに何故俺の心はこんなに痛むのか。 なんで俺は泣いてるんだ。 「あー面白かったぁ」そういいながら銀様が居間にもどってゆく。 とめどなくあふれ出す涙で、銀様の後姿が霞んで見えた。 それから数時間、互いに話すのは危険と判断。 一度は勝っている銀様も、俺の逆襲が怖いらしく、俺に話しかけないでテレビを見ている。 俺は俺で本を静かに読んでいるのだが、怖いわけではない。確実に銀様を陥れる時を待っている。 ゆっくりと時が来る。 12時。 テレビでおなじみの昼の番組がはじまる。 そして、銀様はつい癖で言うのだ。 「お腹空いたわぁ。ご飯作ってくれなぁい?」 よしきた! 「銀様、アウトだよ」 「えっ!?あ…っ!ナシナシ!今のは無しよ!」 慌ててソファから飛び降りて俺の前で両手を交差させる。 パタパタと動く様子に笑ってしまう。 「じゃあ、言い直したら無しにしてあげるよ」 「ありがとっ。じゃあ、お腹空いて無いからご飯作らないでちょうだい」 「ホント?助かるよ。じゃあ夕ご飯に期待しててね」 「え?え?」 目を白黒させるとはこの事を言うのだろう。 呆気にとられた表情で固まっている。 「違っ!そういう意味じゃないわよぉ!!」 「分かってるって、冗談だよ」 そう言いながらキッチンへ向かうため、椅子から立ち上がる。 「ホントに貴方のそういう所私は大っキラ………す…、好、大好きよぉ…」 顔を赤らめて銀様が言った。 きっと、ただルールに沿って『嫌い』と言ってるだけなのに、俺の思考はその言葉で機能ストップしてしまう。 「俺も大好きだよ銀様」 そのままの勢いで言ってしまった。 空気が凍りついたように呼吸し辛い。 テレビから楽しそうな笑う声が流れて来るが、それさえも無音と化す。 ずっと銀様の赤い目と、口を半開きにした表情だけがあった。 --- 「罰ゲームよ…」 銀様が無言を切り裂いて言う。 「正直に、言ったでしょ…?」 「う、うん…ごめん」 「もう一回言って」 へ? 「さっきの言葉、もう一回言って」 もう一回ってアレをか? コクリと銀様が頷く。 変に意識してしまって身体がガチガチに硬い。 喉に妙にからみつく唾を飲み込んで言う。 「大…好きだよ銀様」 「もういいわぁ。早く料理をつくってちょうだい」 「う…ん」 ギクシャクと体を動かして歩く。 キッチンから覗くと、銀様がさっきの場所で、胸に両手を当ててうっとりとした表情を浮かべている。 そんな反応されると恥ずかしいじゃないか。 俺はそんな銀様の姿を振り払うように冷蔵庫を開けて、メニューを必死に考えた。 --- 「なにか手伝うことなぁい?」 昼ご飯を済ませ、その洗い物をしていると、銀様が話しかけてきた。 「突然どうしたの?銀様」 「別に、ちょっと疲れてそうだったから聞いてみただけよ」 うーん…洗い物はこれで終わりだし、洗濯もした、掃除も朝のうちに終わったし… 「そうだなぁ…銀様ちょっと後ろ向いてくれる?」 「え?後ろ?」なにやら分からないといった顔をしながらも、銀様は後ろを向く。 「これでいいの?」「うん、そのままでね」言いながら、俺は濡れた手をタオルで拭いておく。 俺は膝立ちになって、後ろから銀様の腰に手を回して軽くハグする。 「ヒャッ!なっ…何っ!?」 銀様が可愛い声を上げた。 「こうしてると、どんなに疲れててもすぐに元気になる……気がする」 「ちょっとぉ…誰が抱きついて良いなんて言ったのかしら?」 「イヤ?」 「…別にイヤじゃないわぁ」 「そう…ならよかった」 俺はそう言って銀様から離れた。 「よーし!銀様から元気貰ったし買い物にでも行ってきます!」 「え、ちょっと、もういいの…?」「ほら、見ての通り疲れが取れたよ」 そういうと、何故か残念そうに、「な、ならいいのよ…」 と伏せ目がちに銀様が言う。 「どうしたの?なにか欲しいものでもあるの?」 銀様はじっと俺の目を見る。 10秒ほど見てから、そんなものないわぁとクルリとソファに向かいながら言った。 久しぶりに銀様に特大のコーヒーゼリーかってこようかな。 そう思った午後。 --- ねぇ髪梳いてちょうだぁい。 ンフフ…残念ねぇ、櫛ならもってるわよぉ。 はぁい、諦めてちゃんとこっちに来て頂戴。ダメよ、もっと近くにこないと出来ないでしょ? はい。乱暴にしたら赦さないわよぉ。 え?「櫛が全然引っかからない」ですって?当たり前じゃない、この私の髪なのよ。 「じゃあ梳く意味ないじゃない」…よく言うわね、必要なくても、してもらうことに意味があるのよ。 どんな意味かなんて、そんなの私が説明する必要ないわよ。グダグダ言わず言うとおりにしなさい。 …ありがと。お礼をしてあげるべきかしら? そのまま…じっとしてて……目を閉じて…。 終わったわよ。目にゴミがついてたわぁ。 フフ…なに気の抜けた顔してるのよぉ。 もしかしてもっと別のことを考えてたの? どんな事想像してたの?言ってみなさいよぉ。 顔真っ赤にしちゃって……え?酷いですって?貴方がよく言うわ。 貴方の方がもっと酷いじゃないのよ。 ホントに、私の下僕はどうしてこうも性格が悪いのかしら。 …でも、私の言うとおりにしてくれるところだけは褒めてあげるわぁ。 ほら、私からの些細なお礼よ。痛がらずに私に頭を撫でられなさぁい。 あ!ちょっと!逃げないでよ! …酷いわぁ、自分の部屋に逃げ込むなんて…ドアを開けなさい。 「あんな力で撫でられたらハゲちゃうよ!!」ですって?そんなことレディに言うもんじゃないわよ? ホントに…変なところで貴方は手間がかかるのね。 もういいわぁ。貴方が出てこないのなら、冷蔵庫にしまってある貴方のヨーグルトとか全部食べちゃうんだから。 --- フフ…おばかさぁん。すぐにドアを開けるなんて迂闊すぎるわぁ。 どうしてかしら、なんだか今日の貴方の顔を見てるとメチャクチャに苛めたくなっちゃったわぁ。 手始めにぃ…そこで指を咥えて見てなさぁい。 あぁ!乳酸菌がたくさん詰まっていたのにっ!!俺のヨーグルトを返して! そんな無力な俺の言葉は届かない。 目の前で俺の分のヨーグルトを美味しそうに食べる銀様を見るしかなかった。 う〜ん、やっぱり美味しいわねぇ。 食べ終わったことだし、このまえの仕返し……何?別に貴方はなにも悪く無いわよぉ。 これはちょっとした私の愛情表現よ? …違っ!そういう意味じゃなくて、貴方なんか好きじゃないわよ!言葉のアヤを取り違えないようにして貰いたいわぁ。 ちょっとなに嬉しそうな顔してるのよ!もう…このバカッ!! 俺の太股をつま先で蹴ってフイと去ってしまう。 今日の銀様は荒れていたのか…なんなのか…。 ジンジンとする太股の痛みが治まってきた。 今日の夕飯は質素にしよう。きっと銀様は嫌そうな顔をするはずだ! ちょっとした反抗心を抱きつつ夕飯の買い足しに行こう。 (おまけ・食後) 今日の夕食?別に変わったところはなかったわよぉ… 質素じゃないかって?…そんなのいつもの事じゃないの。 一体貴方は何を言って…ちょっと、なんで泣いてるのよぉ。私が悪いこと言った? しょうがないわねぇ。 そう言って俺の頭を優しく撫でてくれる銀様の手は温かくて、優しい匂いがした。 「一つ言っとくけど、ただじゃないわよぉ。また明日から私の言いなりになってもらうわよぉ」 ちょっと困った顔で銀様が言った。 「明日も。の間違いだよ銀様」俺が付け加えた。 --- 「ちょっと!起きて!」 そう何故か叫びながら銀様が俺の頬を叩く。 俺はソファに座って居¥いるうちに寝てしまったみたいだ。 テレビのクイズ番組の声が未だボーっとした俺の頭の中で反響する。 「どうしたの…銀様……俺…眠」 「一大事なのよバカ!!アイツよ…あれが、テレビ台の下に!!」 怒りながら銀様が俺の首を掴んで揺さぶる。 ありがとう銀様目が覚めたよ。 「アイツ……あぁ…今年は珍しく出ないと思ったら、今頃になってねぇ」 アイツとはもちろんアレのことだ。 茶色の、生命力の強い、アレである。 「早くなんとかしてちょうだい」 言われなくとも! すぐ後ろのテーブルに置いてある新聞紙を取って、丸める。 いつの間にか銀様は部屋の外から、顔だけ出して覗いている。 いち早く退避した銀様が怨めしい。第一、素早すぎる。 テレビ台から壁伝いに逃げようとヤツがでてきた。 その様子を見たらしき銀様は短く悲鳴を残して顔を引っ込めて、駆け出す足音が聞こえる。 俺は――(表現グロテスクにつき省略。というより描けない) 「終わった?殺した?」 廊下から銀様の声だけが部屋に入ってくる。 「うん殺ったよ」ティッシュ3枚で完全にヤツを包んで、蓋付きのキッチンのゴミ箱に放り込む。 「そう。ご苦労様」凛とした表情で平然と部屋に入ってきた。 「そんなに動いて無いのに汗かいちゃったよ。シャワー浴びてもう寝るよ」 --- シャワーで軽く汗を流して、タオルでわしゃわしゃと髪を拭きつつ、部屋に行く。 とりあえず明かりを点けようと…あ、もう点いてる。 あー…銀様がベッドに座って―― 「銀様!?なんで俺の部屋に」 「あら、この私をアレが出た部屋で寝させようなんて、随分と親切じゃないの」 そうかそんなにゴキブリがニガテか・・・。 「なによその顔…アレの怖さをわかって無いわね?飛ぶのよ?」 銀様が拳を握り締め力説する。 「あの生命力。速さ。なにより外見…考えただけで鳥肌がたつわぁ」 「今の時分どこにだっているし、出てくるよ」 「なによその言い方。私がアイツに襲われてもいいって訳?」 いや…襲いはしないだろうけどさ…。 「というわけだから、ここで寝るわぁ」 銀様はそう言いながら、俺の枕を自分に合うようにボフボフ叩いて調節している。 「わかったよ。じゃあ、俺は向こうのソファで寝るからね」 お休みといって、電気を消して部屋を出ようとしたとき。 「ちょっと待ってよ…!」 銀様が小声で続ける。 「そっ…その」 「その…?」 「アイツ、ドコにだってでるんでしょ。じゃあ、もし出たときのタメに貴方はこの部屋で寝るべきだと思うの」 電気を消したので銀様の表情が見えない。 「わかったよ」じゃあちょっと布団とってよ、床に敷いて寝るからさ。 「あのっ…ちょっとぐらいなら譲ってやってもいいわぁ」 俺もベッドで寝ろと言うことなのだろうか。 同じベッドで寝るだって…!?俺の心臓がいつの間にかバクバク音を立てて、驚いた。 顔が熱い! 「いや!いいよ、床で寝るからさっ!問題ないよ全然」 俺は慌てて返事する。 「ちょっと!私が折角少しだけ、ほんの少し譲ってやるって言ってるのよ」 「じゃ…じゃあ寝させて貰おうかな…?」 銀様が無言で奥のほう、壁に面した方へ転がる。 「失礼…します」 何故か改まりながら俺は横になる。 --- 「ちょっと銀様、そんなにくっつかないで」 銀様が背中でぐいぐいと俺を押し出すように近づく。 仰向けに寝ていたが、大分端のほうに追い込まれたので、銀様方に横向きになる。 「あら、ごめんなさい。わざとよぉ」 と笑いながら言う。 「落ちちゃうよ」 「私には関係ないわぁ」 「じゃあ俺が落ちたら道連れだよ」 あっちを向いた銀様に、俺は後ろから両手を銀様の両脇に通して、少し引き寄せて抱きしめた。 銀様の鼓動も、俺の鼓動もバカみたいに早かった。 接した俺の胸からきっと銀様に伝わっているだろう。 「放してよ」 「ヤダね。銀様に落とされるかもしれないからね。落とさないって言うのなら放すよ」 「絶対に落とさ…いや、絶対落としてやるわ!絶対だから」 俺を押す様子なんて全く感じられない銀様がそう言った。 俺はそっと銀様にまわした腕を放す。 「やっぱりちょっと暑い」 え?とかなんとか言いながら銀様が俺のほうに向き直り、ペチと俺の頬を軽く叩く。 今日はなんだかたくさん叩かれてる気がする。 「貴方っていじわるね」 「銀様はワガママだね」 暗くてお互い顔は見えていなかったが、そのときはお互いに顔を見てくすりと笑った。 「やっぱり貴方はいじわるよ」 そう言って銀様は、俺のパジャマの胸元を両手で掴んで、頭を預けてきた。 「貴方の心臓の音、すごく速いわよぉ」 「そう言う銀様だって…」 「そんな事無いわよぉ。私が一体何に緊張するのかしら?」 くっついてくる銀様の体はやっぱり熱くて、やっぱり…。 「もう寝るよ」 「ちょっと話しすぎたかしらねぇ。おやすみなさぁい」 「お休みなさい銀様」 いつもより近くで言った。 目を閉じても銀様を感じる。すぐそこに居るんだと、安心する。 寝てしまうのがどこか勿体無く思った。 --- 「ちょっと出かけてくるわぁ」 先程までソファでダラダラとしていた銀様が、突然起き上がり言った。 「どこへ?」 「すぐのところだから心配はいらないわよ」 銀様の側から、光の球体がパッと出現、ソレがテレビの画面に入り込んでテレビから光が溢れ出す。 「な…なにこれ!」 「んー…説明するのは難しいわねぇ…。アレよ、青い狸のドアみたいなものよ」 すぐ帰ってくるわぁ。と言い残して銀様が光の中に消え去る。 目が痛くなるほどの光も消えて、暗い画面に俺の姿を反射する。 画面に触れてみた。もちろん当たり前だが、入ることなどできやしない。 「なんだったんだ…?」俺は呟いた。 青い狸って…アレは猫だよ。とも。 5分と経たないうちに、再びテレビの画面が輝きだした。 「銀様お帰り」「ただいまぁ。ちょっと喉が渇いちゃった」 帰って来るなり早速俺に言いつける。 俺はすかさず、キッチンに行き、コップに氷と麦茶をなみなみと注いで渡した。 「ありがと」銀様はコップを受け取ると、白い喉を鳴らして飲み始める。 「ところで…さっきから飛び回ってるあれなに?」 フゥ。と一息ついた銀様が「メイメイ。私の人工精霊よ」 「へぇ…そうなんだ」人工精霊と言われてもなんのことだか分からないが、とりあえず納得しておく。 炎を連想させるような赤色の光がとてもキレイだ。 「あら?メイメイはココにいるわ……」青紫色の光が、銀様の隣でフヨフヨと漂うように浮いている。 銀様はハッとした顔で旋回する人工精霊を見る。 「しまった!」 銀様が叫ぶと同時にテレビから再び光が射し込んでくる。 画面が、青白い水のように波紋を伴い振動する。 その波紋が発生しているところから手―? 「貴方はちょっと下がってなさい!」 銀様が大声で言うも、俺はその光景を見ていた。 --- 「散々荒らして逃げるなんて、貴女らしいわね。水銀燈」 ソファの背もたれの上に立って、俺と銀様を見下ろしながら少女は言う。 その碧眼を際立たせるような真っ赤なドレス。なびく金色の髪。 「私が、逃げる…?勘違いも甚だしいわね真紅」 傍らの銀様が怒った表情をしながらも、静かに答える。 「さっさと帰りなさい。もしかしてジャンクにして欲しいのぉ?」 今にも剣を生成して、斬りかからん勢いである。 少女の青い目が、俺を見る。 その顔つきは銀様と全く違うが、どこかが似ていた。 見た目は幼い少女だが、達観した様子がにじみ出ている。 俺は素直に、銀様に負けず劣らず美しいと思った。 そして、俺は言う。 「銀様。足どけてくれない?」 先程から俺の右足の小指に銀様の踵が突き刺さっている。 一瞬見惚れたのは認める。しかし、これすごく痛い…。 フフッ。少しだけ少女が笑う。 「なによ…なにがおかしいのよ」 「私は貴女と闘いに来た訳じゃないわ。どうしてるか見に来ただけよ」 音もなく、舞うようにソファから降りて丁寧にお辞儀する。 「私はローゼンメイデンの第五ドールの真紅」 「私の一番バカな妹よ」割り込みで銀様が早口で俺に説明する。 「相変わらず口だけは悪いわね、水銀燈。でも―」 いい人間を見つけたようね。 俺のほうをチラリと見て銀様に微笑みかけた。 「勘違いしないで欲しいわぁ。これは私のただの下僕よ」 「そう。でも、貴女の物なのね」 銀様の眉がピクピク動く。 「壊されたいの…?」 「そんな事言う前に、貴女ならきっと私を壊そうとするわ。それをしないのは、この人間の前だから?」 「うるさい!!!!!」 突風が巻き起こる。黒い羽が爆発させたように四方に飛び散った。 ホーリエ。真紅がそう呟くと、人工精霊がヒラリと回って銀様の羽を床に落とす。 「水銀燈。きっと貴女も変わったのよ。悪い意味じゃないわよ?」 ゆっくりとテレビに向かって歩きながら真紅は言った。 「また、今度も来るわ今度はお茶でも」 言葉の語尾は、真紅の姿ごと光に飲み込まれた。 --- 「やっぱり…変わっちゃったのかしら」 ヘタリと座りこんだ銀様が悲しそうな声で言った。 「変わることって、大切だと思うよ」 力なく座る銀様に俺は手を差し出す。 「いらない。一人で立てるわ。一人で…」 何度か銀様が立ち上がろうとするが腰が抜けたように動けないようだった。 「ごめん」と俺は早口で銀様に謝ってから、銀様を抱き上げる。 銀様の膝裏に手を差し込んで、もう片手は腰の辺りを持つ。お姫様抱っこである。 止めてとか、バカとか言われると思っていたのに銀様は何も言わなかった。 「いままで散々俺を使ってきて、イキナリ一人でできるなんて言われたら、俺が困るよ」 ゆっくりと銀様をソファに座らせようとする。が。 銀様の空いた両手は俺の胸元をしっかりと掴んでいた。 無言。 その時の、少しだけ涙を溢れさせた銀様の目が忘れられない。 銀様は顔を俺のほうへ向けて目を瞑った。 やっぱり何も言わなかった。 私が眠るまでこのままにしておいて。 そう聞こえた。きっと聞こえなくとも俺はそうしておこうと思った。 そして俺は銀様が眠ったら、ソファに降ろす前にこう聞くだろう。 「銀様は俺のことどう思ってる」 そしてこう言うだろう。 「俺は銀様が好きだよ。今の銀様も。きっと昔の銀様も」と。 --- 銀様が目を覚ます。 半身を起こして、俺のほうをじっと見ている。 「私らしくなかったわね…。貴方に気を遣わせちゃって」 マッタク、真紅のせいで調子狂っちゃったわぁ。 文句を言いながらも、いつもの銀様の調子で俺の傍にくる。 銀様は窓枠に立つ。こうすると、銀様のほうが背が高くなる。 上から銀様が俺の顔を覗き込んで言う。 「どうしたの?元気ないわよぉ」 「…うん大丈夫だよ」 俺はそのまま空を見た。 「銀様、知ってる?今日皆既月食なんだよ。月が赤く見えるみたいなんだ」 「そうなの?そんな珍しい日もあるのねぇ」 銀様も俺につられて上を向いた。 「曇りで月なんて見えないわぁ」 「いいや。見えるよ。赤い月が」 ちょっと、ドコにあるのよ。教えなさいよぉ。 空を見ながら銀様はつま先で俺をつついてくる。 俺はそんな風に見上げる銀様の横顔を、じっと見る。 赤い目だった。透き通る色の。 --- 月を探すのに夢中な銀様の左手をそっと手に取った。 「下僕に赦される精一杯の愛情表現って、これくらいかな」 俺はそう言って、銀様の手の甲に優しく口付けをする。 コレまで俺が冗談として避けてきた、逃げていた行為。 それをするとこの生活が終わってしまう気がして――。 「下僕にしても少々出過ぎたマネねぇ」 見下ろす銀様の目からは、少し悲しそうな色が窺えた。 「下僕なんかじゃないわぁ。もっと、大切……私にも良く分からないけど」 スッと銀様はしゃがんだ。 俺の目の前に丁度の高さで銀様の顔がある。 ちょっと困ったような、不思議な表情だった。 銀様が両手で俺の前髪を分けて額にキスをしてくれた。 「私の、貴方に対する精一杯の愛情表現よ」 一度微笑んで、立ち上がった。 俺は銀様を見上げながら、額に感じた感触を反芻する。 「背伸びしたら届くかな」 「それは貴方の頑張り次第じゃないかしら」 窓枠から飛び降りて、後ろ姿の銀様が言う。 「大分早いけどもう寝ましょう。また明日から『いつも』が始まるわ」 そう言いながら、銀様は俺の部屋へと歩いてゆく。 「ちょっと…なんでまた俺の部屋に?」 「なぁに?いけないの?この前も寝たでしょ」 そう言ったっきり俺には見向きもせず、スタスタと歩いていってしまった。 なんだか恥ずかしいよ。 向き合って寝るのは9割方俺にはできないな。そう思った。 --- 「銀様の手料理食べたいなぁ…」 俺の部屋から持ってきた漫画を黙々と読む銀様が顔を上げる。 それも、なんだか嫌そうな顔で。 「銀様って料理作れるの?」 「作れるわよ…簡単なのなら…」 「本当!?嬉しいよ!」 俺が本当に嬉しそうな顔をしているのを見た銀様が、どこか申し訳なさそうだった。 「うん…美味しいよ、銀様…」 俺はズルズルとカップラーメンを啜った。 最早手料理かどうかさえ…いや!銀様が作ってくれたことには変わりはない。 最初はスパゲティにしようとしたらしい、けれど、麺を茹でるのはいいが、そのほかの部分が出来ないということで。 「コレぐらいしか作れなかったわぁ」 あ、でも勘違いしないでね。食べる方はプロよ。 「いやいや銀様、胸を張って言わなくても」 「なによ。美味しそうに食べることは胸を張ってもいいと思うんだけど?」 「まぁ、作った人が喜ぶだろうけどね。それよりも、銀様って食べても太らないのが羨ましいよ」 その言い方酷いと思わない?このスタイルを維持するのって大変なんだから。 と、そんなことを必死に言ってくる。俺はスープを一口飲んで 「スタイル維持ってどんなことしてるの?」聞いてみた。 「そ…そぉねぇ……」 たいした事じゃないけどぉ…。と続けてから、「美味しいものを食べること?」 スタイル維持について熱く語る銀様の話を聞き流しながら、カップ麺を食べ終えた俺は 銀様のリクエストでちょっとこってりした料理。ソバ飯を作った。 「で、これはどう?」 ソバ飯を一口食べた銀様に尋ねる。 「相変わらず、まぁまぁかしらねぇ」 もうちょっとソースが要るかしら。 勝手に冷蔵庫から持ってきてかけ始めた。 まぁ、それはいいのだが、冷蔵庫に向かう際、スプーンを咥えっぱなしというのは銀様の言う「レディー」としてどうかとは思う。 「なによ?さっきからジッと見てきて…ソースかけたらダメだった?」 「あ、いやそういうことじゃ…」俺は視線を落とし、見てみた。 どうみてもソースかけすぎである。 前言撤回。 「やっぱりかけすぎだと思う」 そんなの私の勝手でしょぉ。とツンと言い放ちながら、銀様はスプーンですくって食べた。 「やっぱりこれぐらいが美味しいわぁ」 ……さいですか。 今日も「スタイル維持」に忙しい銀様であった。 「ねぇアイス足りないわよぉ、アイス。メロン買ってきてぇ」 「一緒に行かない?」 「くんくんを見ることもスタイル維持の秘訣なのよぉ」 「…行ってきます」 ドアが涙で滲む。 ドアノブはこんなにも重かったのか。 すっかり夏の気配も終わりを見せ始めた道を一人で歩いた。 --- 「外に行きましょ」 俺が夕食の洗い物を済ませ濡れた手を拭いていると、銀様がソファの背もたれに上体を乗せて言ってきた。 「え、今から?なにか欲しいものでもあるの?」 「別に無いわよ」じゃあ、どうして? 「外に出るのに理由が必要かしら。それに、たまには外に出て太陽を浴びなきゃダメよ」 俺は買い物とか、銀様のワガママとかでよく外でてるんだけど…。それに―― 「もう日が沈みそうな気がするんだけど」 すこし赤みを帯びた、青色の風景を窓から眺める。 「何よ。来たくないの?いいわよ、来なくても」 フイとそっぽを向いて、そのまま銀様は玄関に行ってしまう。 俺は急いで部屋の電気を消しながら銀様の許へ向かった。 居間から飛び出る俺の姿を後ろ目に、銀様は玄関のドアを開けて出て行く。 「ちょっと!俺も、俺も行きますよ!」 俺の二歩程先を銀様が歩いている。 向かいの歩道を、部活が終わったらしい遅帰りの高校生が数人談笑しながら歩いていく。 それだけだ。人が少ない。 いつか、俺の背後でコソコソと目立たないように歩いていた銀様が懐かしい。 今ではもうすっかり馴染んだのか。 銀様から鼻歌でも聞こえてきそうな程、ルンルンとした様子が窺える。 そうやって、銀様の楽しそうな姿を見ているとすぐだった。 家の傍の小さな公園。 銀様がベンチの中程に座った。 俺も銀様の左隣に座る。 真っ赤なラインを空に残していた夕日も沈み、益々暗くなり始める。 銀様がチラチラと見てきた。 とても何か言いたげな表情。 どうしたの?と俺が聞く前に、ベンチから立ち上がる。 そして、俺の左側にチョコんと座って、 「私の右に貴方が居ないと落ち着かないわぁ」と一言。 薄い雲で覆われた空を銀様が指差す。 今日の月はどんな月かしらね。 「曇ってて少しも見えないよ。銀様」 そうね。 と呟き、俺に頭を預けてくる。 見えるまで此処に居ましょう。 --- おまけ 「さぁ、帰りましょうか」 「うん。月も見れたしね」 ベンチから立ち上がる。 振り返ると銀様は未だに座ったまま。 「銀様?」 銀様が右手を出す。 「エスコートしてくれるでしょ?」 慌てて俺は、銀様の前に行き、手をとる。 「行きは一人でスタスタ行っちゃった人の言う言葉じゃないけどね」 「一言多いわよ」 銀様の声はなんだか怒ったような声だったけど、それでも繋いだ手は放さなかった。 俺のほんの少し後ろを銀様が歩く。 ちょっと後ろを見ると、銀様が顔を上げて、なぁに?とでも言うような表情を浮かべる。 何もないよ。と言う返事代わりに、俺は無言で前を向き。 銀様の手を少しだけ強く握った。 そういえばこれ…手を繋いだの初めてだ…。 なんだか、初めての事に妙に緊張してしまう。 その気持ちが銀様に手から伝わってしまったか、先程から視界の右下辺りにチラチラと銀様のイタズラな笑みが見え隠れする。 動揺を誤魔化すように少し早歩きになる。 後ろから銀様の文句が聞こえる。 それと同時に銀様がちょっと強く、俺の手を握り返したのは錯覚だったのか。 家に着いて、銀様が叫ぶ。 どうやら見たかった番組を逃してしまったらしい。 何故か俺に不満を言いながら、ふくらはぎ付近に何度もローキックをいれてきたが、これはまた別の話。 --- 「…諦めたら?」 俺の眼前では、獲物の首筋に牙を立てるように、銀様がカスクートに噛み付いている。 まぁ少々固いのだが、噛み切れない訳ではない。 「いいこと?朝ごはんを抜くと頭のキレが鈍るのよ」 小さな歯型を先端に残したカスクートを俺に向けながら言う。 「あぁ、前にテレビかなにかでやってたね。このパン、中にハムとチーズが入ってておいしいよ」 「なによそれ!嫌がらせ?私への嫌がらせなの?」 俺がにこやかな笑みを浮かべながら、少しずつ食べる。 俺を睨みながらもパンに齧りつく銀様。全く…朝からテンションが高いね。 うぅ。低いうなり声を上げて思い切り噛み付く。 しかしそれでもパンは千切れず、ただ銀様の顔が赤くなってゆくだけ。 ぷは。と小さく息を吐いて肩で呼吸し始める。 「おお!スゴイよ!あと5回ぐらいやれば一口分食べれるよ」 「……もういいわぁ」 銀様がカスクートをテーブルにそっと置き、椅子の上に立ち上がる。 「斬ればいいのよ斬れば…」 手には剣。 切っ先を下に向けて、まるで誰かの寝首を掻き切るように構える。 「ちょっと待って銀様!それテーブルに穴が空いちゃうっ!」 いたっていつもの、平和な朝。 「うん。美味しいわぁ」 小さく切ったカスクートを一つ一つ優雅に口に運んで食べる。 「銀様…ちゃんと言ってくれれば俺が切りますから、どうか家具を壊すのだけは…」 先程危うく銀様にテーブルに穴を空けられるところだった。 すんでのところで銀様の腕を止める事に成功したのだ。 「貴方が機転を利かして動けばいいだけの話でしょ?」 ちょっと銀様の困った様子が見たかったんだよ。とは言えず、ミルクをこくこくと飲む銀様を見る。 朝から少し疲れたな…これから掃除とかやらないといけないんだけどな。 上唇上部に白ひげを付けた銀様を、俺は苦笑いしながらティッシュを手にとって拭いてやる。 「あ…。ありがと」 拭かれて気付いた銀様が少し照れながら笑う。 「どーいたしまして」 銀様の笑顔の背後――各地で話題になった台風も過ぎて、雲4分といったところか、そんな空を見る。 久しぶりに青色を見た気がする。 「いい朝ね」俺の視線を辿って、チラリと後ろを見た銀様が呟く。 「それ毎日言ってない?」「あら、悪かったかしら?一日一日がいい日よ」 「そう…なのかな…うん。そうだね」「でしょ?」 そう言って銀様が最後の一切れを口に放り込む。 銀様にそう言われると、本当にそのように思えてきた。 「(もぐもぐもぐもぐもぐ)……ごちそうさま」銀様はようやく食べ終えた。 どうだ、全部食べてやったわよ、この固いパンめ。とでも言うような表情である。 そんな銀様の顔を見てると少し、というか大分元気が出てきた。 そんな―いつもの朝。変わらぬ毎日。 --- 今朝は意外にも朝に掃除するのを銀様は手伝ってくれた。 おかげで、滅多にしないような窓拭きや、雑巾かけなどを完全に終えた。 大分昼を過ぎちゃったけどね。 「昼ご飯すぐに作るよ」 「いらなぁい。もう…疲れたわ……ぁ」 言葉の語尾を引き摺りながら、銀様はソファに倒れこんだ。 朝に、食事を抜いたら云々言っていたのに…。 俺だけ食事をとるのも気が引けるので、アイスコーヒーでも飲んで空腹を紛らわす。 「銀様も何か飲み物いる?」 声をかけても返事が無い。 先程からずっと静かだ。眠ってるのかな? 足音を立てないように、俺はそっとソファに近づき、覗き込んだ。 スピー…と僅かな寝息を立てて眠っていた。 ほんの少し口が開いており、バンザイの途中であるかのように顔の両側に手のひらをみせている。 すこし視線を落とすと、ドレスの胸元がたるんでいたりする。 なんとまぁ、はしたない格好で…。というより、 ドレスの首元をちょんと掴んで、上に引っ張って整えてやる。 「ふむ」 ついでだしね。 俺は一人そう呟いて――。 銀様髪の毛の束を顔の方に持ってきて、鼻の下で結んでおいた。 未だに平和な表情で寝ているあたり、現在の格好に合いすぎている。 スピっ…。呼吸するたびに髪の結び目が僅かに揺れ、痒そうにしている。 自分でやっておいてなんだが、込み上げる笑いを堪えるのが難しい! 過呼吸になりそうだ。 とりあえず両手で口を押さえて息を…ゆっくり…呼吸を整えて。 「…………ん、…なにしてるの?」 「お、おはよ…ご、ブッハハハハハハ!」 無理だ。無理。 眠たそうに半開きの目で、鼻下に髪の結び目を見せたこの顔は…。 俺は遂に膝と両手をついて笑う。 「なにがおかしいのよ…。それに、さっきからなんだか鼻が痒く…て…」 銀様が気付いた。 「あぁ、銀様!似合いすぎてるよ!」ハハハッ!と、俺はまだ息を大きく吐き出しながら笑っている。 銀様は先ず冷静にゆっくりと両手で解き、その後笑い転げる俺の前に仁王立ちして、大上段にいつの間にか持っている剣を構える。 「もういいわ。何も言わないでちょうだい」 ヒュンと風を切って、銀様の腕が振り下ろされる―― のをすんでのところで、朝食のときと同じように腕を掴んで止める! --- のだが、互いにこんなに近くなるのは予想外。 嬉しい誤算ともいうべきでありましょうか。 「放して!!」 イヤだ! なんだか、台詞だけ聞くとロマンチックなようにも見えるが、状況が状況。 ムっとした表情で、近いのだがそれでも睨んでくる。 「乙女の純心を弄んだ罪は重いわよ」 そこまで酷いことをしたのかどうか、分からないけれど…。 「ゴメン銀様。その、寝てる銀様見てたらさ、スッゴク可愛くて…それでね…つい…」 言っている俺はもちろん恥ずかしいが、お互いの距離もあってか、銀様も目を丸くしてしまっている。 振りかぶった剣を降ろしてくれた。 「ま、そんな事をさせちゃうほどの私の美しさも、罪と言えば罪よねぇ」 ウフっ、と明るく微笑む銀様に俺は言う。 「と言ったら助かるんじゃないかと思って、嘘だけど言ってみようと思う」 「あ、あ…もう許さないわぁ!」 再び剣を振りかぶる銀様だが、もう遅い。 俺は銀様の脇を抜けて、自分の部屋に直行する! 後ろから銀様の可愛い怒鳴り声が続くが、後ろ手にドアを閉めて、開けられないように座ってもたれる。 「っていうか、言ってみようと思う。じゃなくて実際言ってるでしょ!しかも嘘ってどういうことよ」 ホントに!さっさと開けないと怒るわよぉ! もう怒ってるじゃないのさ。という俺の声は銀様には届かずじまいだった。 いやぁ、ホントに銀様はからかい甲斐があるなぁ。 「開けなさい!そして前言撤回なさぁい!」とドアをドンドン叩きながら言う。 そんなちょっとした―いつもの昼だった。 --- 次のページへ |