銀様生活 7

ID:bjaPfkJC 氏(初出ID)
「ねぇ、夕方から降るって言ってたのにもう降ってるわぁ。雨」
「まあ、天気予報が外れるのはよくあるよ。それよりも梅雨入りしてるとかなんとか」
「ここ何日かよく降ってるのはそれのせいねぇ…。でも蒸し暑いのよりはマシだわ」
「確かに。お陰で涼しいから助かるよ」
「でも、雨はキライよぉ…」

不意に銀様がぴくりと反応。
テレビの方を向いて、「…お客さんよぉ」と俺の顔を見上げて言った。
「お客さん?真紅さんかな。えらく久しぶりだなぁ」
紅茶あったかな?最近は銀様も俺もアイスコーヒーばかりだったし…。
と、茶葉の有無を確かめに行こうとするが、後ろに引っ張られる感覚に振り返ると、やはり裾を抓んでいる銀様。
「貴方、こんな格好のままでお迎えするなんて、随分気合いが入っているわね」
上はパジャマのまま下はジャージ、と完全にオフモードの装いに今更ながら気付いた。
「しまっ…!」
慌てて部屋を出た俺の背後から、
「さっさと着替えて来なさい、お馬鹿さん」
銀様の呆れたような声と、
「お邪魔しますですー」
と相変わらず元気な翠星石の声が廊下に響いてくる。

ぱぱっと着替えるのはいつものこと。
ドアを開けてリビングに入る。
「や、やぁ、こ…こんにち…わ?」
いざ挨拶をしようとすると、早々に言葉が口の中で失速。切れ切れに出てしまう。
なぜかというと、見慣れぬ顔のお客さんがいたからだ。
その子は「は、はじめまして」帽子を片手にペコリと丁寧に頭を下げた。
俺も同じく、はじめまして。とギコチなく挨拶を交わした。
俺を見上げるその目、顔を見てすぐに気が付いた。
翠星石にそっくりな顔だ。
可愛らしい感じの男の子だ。
「翠星石の弟さんかな…?」思ったまま呟いた俺の側に、翠星石が近寄って来た。
黙ったまま俺を――睨んでいる。

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「な…に?」
その異様な様子に少しうろたえていると、聴くだけでも痛そうな音。
右脛に衝撃と痛みがじんわり大きくなってきて、翠星石に蹴られた事が分かった。
「蒼星石も薔薇乙女ですよ!オ・ト・メ!乙女って言ったら女の子に決まってるです!」
「す、翠星石!なんてことを。ダメだよそんなことしちゃあ!僕は全然気にしてないよ」
更に、俺に掴み掛ろうとする翠星石を、その子は必死に止めようとする。
「ゴメン!ごめんなさいっ!失礼な事を!」
脛の鈍痛に涙目になりつつも必死に謝った。
怒れる翠星石に謝っているのか、それともその本人に謝っているのか。
この時の俺は身の危険を察知し、きっと前者だったに違いない。


「…えっと、遅れましたけども、僕はローゼンメイデン第4ドールの蒼星石といいます」
先程の騒ぎから一段落ついて、蒼星石さんは律儀にお辞儀して自己紹介してくれた。
「本当にさっきはすみませんでした」
俺も頭を下げて謝った。
蒼星石さんの後ろの翠星石が一瞬視界に入った。
未だ怒っているらしく、腕を組んで俺をジッと睨んでいる。
もちろん怖いので目をあわさないように焦点を蒼星石にあわせておく。

「髪短いしこんな服だからよく間違われるんです。だから、謝らなくてもいいですよ」
見ていて落ち着くような、そんな笑顔で返してくれた。
「安心なさい。アンタよりそこの翠なんとかさんの方がよっぽど男っぽいから」
欠伸をかみ締めながら傍観していた銀様だったが、シビレをきらしたらしく早速翠星石に突っかかり始める。
「なっ!?何を言うですか水銀燈!このローゼンメイデン一の可憐で乙女な――」
「――悪いけど黙っていただける?キーキーうるさすぎて耐えらんないわぁ。自称乙女さん」
「自称じゃないです!これ以上翠星石を馬鹿にするなら決闘ですよ」
銀様も銀様だが、あからさまな挑発にのる方もどうかと思う。
「あら、奇遇ねぇ。そうしてもらえると助かるわぁ」
予想外の返答に、「…へ?」と翠星石は目を丸くした。
「アンタさっき私のモノを蹴ったでしょう?」
銀様の声音が急に凍りついたような冷気を帯びた。
猫みたいに細めた目で、ただ一点翠星石をジッと見る。見るというか睨む。
「な、なにも、蹴ってないですよ!言い掛かりです」
「ふぅん。とぼけるのねぇ。いいこと?アレは私のモノよ。アンタがどうこうして良い訳じゃないの」
銀様は俺を指差して、翠星石に懇切且つ丁寧に説明する。
「だからアレに手を出したって事は、ジャンクにされたとしても仕方ないわよねぇ?」

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「じゃあ、ちょっと向こうのお部屋に行ってくるわぁ」
清清しいまでの笑顔で翠星石の手をとり、ぐいぐいと半ば引き摺るようにして退室していった。
「そ、蒼星石!た、助け!助けてくださいです!!」
助けを求める必死な声は、ずるずると遠のいてゆく。

俺の隣で顛末を見た蒼星石さんは「あはは…」と乾いた笑みを浮かべて、あまり関わらないようにしているようだ。
下手に止めに入ってとばっちりを受けたくないのは同感だ。
「…ジュースでも出すよ」
「…あ、はい。じゃあいただきます」
「オレンジかグレープフルーツだったらどっちがいいかな?」
「グレープフルーツでお願いします」
あの二人が帰ってくるまで蒼星石さんとお話でもしよう。
まだ会って間もないけれど、なぜか普通に話が合いそうな気がしてきた。

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おまけ

降り続く雨。
ほんの少し窓を開けてるだけで、雨で冷えた風が入ってくる。
銀様と一緒に布団を被っていてもちょうどいいくらいの涼しさ。

今日はちょっと疲れた。
蒼星石さんとのお喋りも思った以上に楽しかった。
ついつい話し込んでしまって、銀様と翠星石(何故か目が虚ろでガタガタ小さく震えている)が帰ってきても全く気付かなかったほどだ。
一体翠星石にどんな事をしたのか聞いてみたけれど、「そんなに知りたいのぉ?」と微笑んだ銀様が怖かったので、つい遠慮してしまった。
まぁ、そんなこんなで銀様もお疲れだったみたいで、電気を消すと何も喋らずに大人しく横になったままである。
いつもなら10分くらいは色々話したりするのだが、今日はただ互いに黙ったままだ。

ほんの一瞬に、何十もの雨粒が窓に当たってパチパチと弾ける音が聞こえる。
雨粒が窓を伝う音まで聞こえそうな静寂。
ただ静かに横になって、雨音に耳を傾けた。



「腕枕…してくれる?」
雨音が支配する部屋で、小さく銀様は呟いた。
俺は返事をせずに黙って右腕を伸ばす。
肘と、手首の間くらいに銀様の重みを感じる。
銀様はあっちを向いたまま、雨の音に耳を澄ましているようだ。

「雨はキライ」
雨音に消えてしまいそうなくらいの小さな声だった。
「昔の嫌な思い出は、いつも雨が降ってた気がするわ」
食べ物以外の話で、銀様の嫌いなものというのはこれまで一度も聞いた事がなかった。
「たまにね、雨の日は考えるわ。あの時どうすればよかったんだろうって……」
銀様の頭の中では、いったいどんな光景が浮かんでいるのだろうか。
俺にはわからない。知らない。
でも、少なくとも。
それは銀様の小さな小さな独白だった。
雨くらいの小ささの、銀様の小さな弱みなのかもしれない。

「でも――」
銀様がぐるりと俺の方に一転半回転。
目と鼻の先、すぐそこに急に近づいた銀様に、俺の鼓動は走った後の如く高鳴る。
「今、は貴方がいるわ。…ちょっと頼りないけど」
「悪かったな。でもこれくらいが俺の精一杯だよ」
俺は天井に視線をやって、わざとふてぶてしく言った。
暗闇でも何かの拍子に少し赤い顔を見られるかもしれない。
子供みたいな、そんな俺の照れ隠しを知ってか知らずか、銀様はフフッと笑うと、
「こうしたら…貴方の音以外は聞こえなくなるわぁ」
そう言って俺の胸に頭を預けた。

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「ふぅん。意外と……まぁまぁってところねぇ」
何度目のチャレンジなんだろう。
銀様はこれまで毎度の如く、アクション以外の――
例えば今観終わったラブロマンスものの映画はウトウトし始めたかと思うと、俺に寄りかかってきていつの間にか眠ってた。
なんて事がよくあった。
中盤くらいまでは以前に観た内容を覚えていたらしく、そこまでスキップしてようやくスタッフロールに辿り着いた。
これまで何回か銀様の隣で見ていた俺としては、別の意味で感慨深い。
感動ついでに、これが4回目だったことに気付く。

「まぁまぁ?随分と淡白な感想だなぁ」
「筋肉が出てない時点でアウトよぉ。私的に」
時間の無駄だったわぁ。とも呟きながらDVDプレーヤーを停止させて、背伸びを存分に堪能している。
「とは言うものの、結構見入ってたよね。特に最後の方なんか身動き一つしてなかったよ?」
「こんな…らぶ、ラブロマンスなんてそもそも私の柄じゃないわぁ」
そう言ってから、銀様は俺の左手にぴったり寄り添うみたいにくっついてくる。
「なんか今、思いっきり甘えてない?」
「甘える?私が貴方に?馬鹿も程々になさい。これはただ眠いから貴方を枕代わりにしてるだけよぉ」
「はいはい。分かったから、眠かったら寝なよ」

「今日、なんだかとても涼しくて…、過ごしやすいわぁ」
ここ最近にしては珍しいくらい冷たい風が、鼻先を掠める。
俺も目を閉じてその風を堪能した。
「銀様、すんごい忘れてたんだけど、昨日が七夕だった」
「…たなばた?あぁ、空に祈るやつね?覚えてるわ…」
「去年の銀様の願いはおとうさゴフッ!」
銀様の拳が俺の左わき腹に衝突。
体の芯から抉るような音と痛みが伝わって、呼吸の乱れを形成。結果俺の言葉を遮った。
「ちょっと恥ずかしいわぁ」
悶える俺をまるっきり無視して、照れたように銀様が呟く。
顔を少し赤らめてそんな風に照れながら放つような、そんな生易しいパンチではなかった。
プロのそれ、距離を詰めた時の必殺の武器となる、抉るような回転を加えたショートパンチだった。
以前、ポニーテールの様々な日本武術を体得している俳優の映画をみた影響なのだろうか。
明日からその俳優のDVDは全部隠しておこうと決意しておく。

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「ま…まぁ、ちょっと遅れたけど、七夕のお願い事でもしとこうかな?」
ソファから立ち上がって、網戸を開けてベランダに出る。
外に出ると、風が少し強く感じられた。
さやさやと耳を撫でるように吹き抜けてく。
「遅れたから、祈ったってきっと無駄よぉ」
不満の声を上げつつも、それでも銀様は俺の後に着いて来て、手摺に腰をかけた。
結局二人してベランダに出ている。
一日違いだけど、去年と同じように。

これからも、こんな日々が過ごせますように。
あと、もうちょっとバターとか、卵とか、とりあえず物価の高騰が収まりますように。

二つ目のは余りに切実過ぎた。
折角なので、なにかもう一つ。と考えて思いついたのだが、現金すぎる話だ。
天の川で出会っているであろう、牽牛星と織女星とに心の中で謝罪の意を表明しつつ、それでも一応三回ほど祈った。

銀様は手摺に座って、まだ目を閉じている。
何かを一心に祈っているのだ。
隣で覗き込む俺に気付いたようで、
結構本気で祈っていた姿を見られて恥ずかしかったのか、
「別に、変な事なんて願ってな、ないわよ?」
顔を伏せたまま、ちょっと言葉を詰らせながら言った。
照れる銀様の姿が可愛かったので、もっと困らせてあげたくなってしまう。
「何も訊いてないんだけど…。変な事でもお願いしたの?」
にやける口元を隠して、平静を装った声で尋ねる。
「変じゃないわぁ!去年とほとんど同じ事を――」
「ほほぅ!去年といえば…『お父様に心から愛されて抱きしめられますように』だったよね!」
「ちょっと!イチイチ言わなくて言いわよ!!バカ!馬鹿!」
とうとう顔を真っ赤にした銀様は、何度も何度もポカポカ俺の頭を叩く。
「今年も銀様はお父様を想って…っ!」
「お父様に。とは一言も言ってないわぁ! ぁ……」
銀様の動きが一瞬停止したと思いきや、
「の、喉が渇いちゃったわぁ!何か飲み物でも、も、貰おうかしら」
手摺から降りて、突風のように部屋へ戻っていった。

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「え!?銀様!一体どういう――」
「――忘れなさい!忘れないなら、忘れるまで叩いてやるわ」
「い!痛っ!なんで足を踏むの!?」
「飲み物を持ってこないからよぉ、早くアイスティーでもなんでもいいから持って来なさい」
相変わらず無茶を仰る。
こんな風景がいつの間にか日常となってしまっているのが、少し信じられないが、
それでも、願わずにはいられない。
たとえ意味がなくても、いつか終わってしまうとしても。

こんな日が。いつまでも続きますように。と。

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「ねぇ…もう一度、して」
微熱でもあるかのようなとろんとした目、艶かしい声。
そんな目で、熱っぽい声で銀様は俺を誘ってくる。
「さ、さっきしたばかりじゃないか」
ベッドに腰かけたまま視線をそらしつつ答える。
「なによぉ、気持ちよかったからこうしてもう一回頼んでるんじゃないの」
目を合わせないようにする俺に、銀様は身体を擦り寄せてきて、「もう一回だけしましょ」と耳元で囁く。

「銀様、すぐに痛いって言うからこっちは大変なんだけど」
「奥の方を突かれたらそりゃあ痛いに決まってるじゃない。ちょっとはガマンするわぁ。だから」
「はいはい。分かった分かった。じゃあ、あと一回だけね」
俺が言い終わる前に、銀様は早くもベッドに横になってスタンバイしている。
「じゃあ、いくよ?」
先端を銀様の入り口に当てて、ゆっくり擦り付ける。
「焦らさないで欲しいわぁ」
と、不満の声を上げながらもくすぐったいのか、口許が緩んでいる。
「中にいれたら痛いと思って、外側からじっくりやってるんだけど?」
「イジワルね…早くいれてちょうだい」
ゆっくりと銀様の中にいれてゆく。
先端がすっぽりと入ったところで、「動かすけど、痛かったら言ってくれ」と、前もって一言。
銀様が無言で頷くのを確認してから、前後に動かしてゆく。

「っん。…き、もちい…い…」
途切れ途切れに銀様の口から洩れる声を聞きながらも、俺は動かし続ける。
側面を軽く擦りながら、少し奥に侵入したり、戻したりを繰り返す。
あくまで優しく、だ。
「この辺とか…どう?」
「あぁ、そ、ソコいいわぁ…もっと強くっ、ん」
「銀様…なんでさっきからそんな声を…?」
「何よぉ、ただちょっと気分で出してるだけよぉ」
「ちょっとドキドキするからやめて」
「なんでドキドキするのかしら?」
「はい!耳掃除終了」
銀様の耳から綿棒を抜いて、ポイッとゴミ箱へ放り投げる。
全く…そもそも汚れてないのに「して」だなんて、今のうちに止めておかないと、三度目四度目とねだられるのは目に見える。
まぁ、気持ちいいからっていうのは分かるけどね。

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「…まだ片方残ってるわぁ」
俺の膝に頭をのっけたままコロンと回転。
仰向けに俺を見上げて残念そうに不満を漏らした。
「だって銀様、寝るまでしてちょうだい。とかなんとか言おうとおもってたでしょ?」
「………思ってないわぁ」
「絶対思ってたね。今の間がすんごく怪しい!」

銀様は、無言で俺の目をじっとみて、それから静かに目を閉じた。
外の木の葉を揺らす風の音を聴いているようだった。
俺も目を閉じてその音に耳を傾ける。
「すごく、いい夜ね」
銀様の声がサヤサヤと音を立てる木の葉と一緒に聞こえる。
「いい夜だね銀様」
昼や夕方はあんなに暑かったのに、夜になるとほんの少しの風一つで涼しく感じるいい季節です。
そうやって数瞬の間、夏の涼しさを感じて銀様が口を開きました。
「ねぇ、耳掃除してちょうだい」「いや」
膝の上から問いかける声に、キッパリと、ハッキリと告げました。

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「待たせたね」
「42秒も待ったわぁ」
「30秒くらいだと思ったんだけど」
コンビニ袋を提げた俺の隣に、「残念だったわね」と小さく笑って降りてきた。
「おっと!周りに人は…」
「いないわぁ。全く」
「そう、じゃあ…行こっか」
腕時計をみると時刻は夜12時を少し回ったくらい。
夜風で涼むついでに、コンビニでアイスを買って出てきたところです。


今日は本当に暑い一日だった。
銀様は「暑いわぁ…」と元気なく扇風機の向く方向く方へ移動しながら、少しでも風を、と言わんばかりに扇風機の前に立っていた。
面白いので、俺はソファに腰掛けて暑さと戦いながらもしばらくの間、銀様が行ったり来たりする様を眺めた。
10分ほど見ていて、居た堪れなくなり扇風機の首振り機能を固定するやり方を教えたら、
「先に言いなさ…!……」暑さのせいか、気が立ったご様子で怒鳴りかけたけども、やっぱり暑さのせいでそんな気もどこかに蒸発したらしい。
無言で扇風機の後ろをイジって、正面へ回って、くったりとした銀髪をその風になびかせていた。
先ほど昼食と称したジュースを、全く食欲の無い銀様と俺とでコップ1、2杯飲んだこと以外は、特に何も無い。
俺はぐったりとソファに埋まったまま、元気なく揺れている銀様の髪をぼぅっと眺める。
チラリと室温計が視界にはいってしまい、知りたくも無いのに、この部屋の気温は現在34度だと情報開示してくれた。
突然だが、聴いた話によると、最近は部屋で熱中症にかかって倒れるケースが多いらしい。
だから少しだけでも水分を摂っておかないと、倒れてからでは遅すぎる。
そもそも、俺には確かに水分が必要だが、銀様には必要なのだろうか?という一つの疑問がふと浮かんだが、この暑さだ。
頭が熱暴走を起こす前に、その疑問をコンクリで固めて雑念の海に沈めておいた。


ともあれ、ほんの少しは涼しく感じる深夜。
きたる真夏をもう感じさせるほど、虫の音が賑やかだ。
その音に耳を澄ましていると、驚くほどあっという間に公園に着いてしまった。
ほとんど真っ暗で、足元が見えないので注意を払いつつ、ベンチに到達。
「よいしょっと。じゃあ、ココで食べましょうかね。はい、銀様」
一足先にベンチに腰掛けて銀様にカップアイスとプラスチックのスプーンとを手渡し、俺もビニール袋から自分の分を取り出した。
そして、互いにしばしの間無言でアイスを食べた。

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「月が綺麗だわぁ…」
気付くと、周りの家の電気も消えて、公園を照らすは弱弱しく光る街灯一本。
だからなのか、空に浮かぶ月がとても眩しく見えた。
「久しぶりに見た気がするわぁ……」
「ここ最近ずっと曇ってたからね」
夜風が穏やかに吹き抜けて行き、すぐ傍の木の葉がさやさやと小雨のような音を立てた。
ただの音だというのに、それを聴くだけでとても涼しく感じる夏真っ盛り。
ほんの五分、あと五分。と、いつまでも聞いていたくなってしまう、困った音だ。


おまけ


「……このまま、寝ちゃい…そ…」
今すぐにでも眠ってしまいそうな銀様が、俺にもたれてきてあくび交じりの声を出す。
時間が時間だし眠くなるのも分かるが、ここで寝られると運んで帰るのが面倒だ。
「置いて帰るよ?」
「やぁ…よ。ちゃぁんと、連れてかえ……」
言葉の後半の部分が寝息と化した上に、俺の腕にかかる銀様の重さが増してきた。
一瞬、本気でこのまま置いて帰ろうかと思ったが、やっぱりそんなことはできない。
やれやれ。と溜息一つ吐いてから、銀様を抱き寄せた。
落とさないように銀様の膝裏と背中とに腕を差し入れて、ベンチから立ち上がる。
意外にずっしりと重量を感じたので、銀様太ったのかな?と思ったが、なんていうことはない。
こうやって抱っこするのは凄く久しぶりだから、そのように感じてしまうのだろう。

どこまでも薄暗さだけが広がる夜道。
腕の中の銀様は、眠たそうにしていたけども、目を開けてぼんやりと空を眺めたり、時々俺をじっと見たりしている。
「銀様、眠いなら目、閉じときなよ」
「ええ…。でも、…もったいない気がするわぁ」

こだまする足音と、虫の音以外は無音の夜道。
銀様は再び、真っ暗な空で白く輝く月を眺める。
俺も月を見つめた。
銀様の瞳に映る、淡く光る赤い月は、本当に本当に綺麗で、
その月を見ていたら銀様と目が合ってしまって、慌てて視線を逸らした。
ギコチない俺の反応がそんなに面白いのか、笑い声を押し殺して銀様が笑った。


「冬になったら。今日みたいな暑い夏だってちょっとは恋しく思うのかしら?」
一通り笑った後、銀様はそんな突拍子の無い事を尋ねてくる。
「銀様は今、冬が恋しい?」
「そうねぇ…、冬は寒くてアイスがあまり食べられないわぁ。でもお鍋とかがあるし…」
とうとう真剣に食べ物の事について悩み始めた銀様に、
「銀様、それ、なんで食べ物の話ばかりなの?」
失礼だが、笑いを隠し切れずに思いっきり笑ってしまった。
腹を抱えたいが、銀様を抱えているためそれはなんとかガマンする。

「真っ先に浮かんだのが食べ物で悪かったわね!」
ムキになって俺の胸元を叩いてくる銀様がとても可愛らしかった。
「悪い悪い。ま、言ってみれば、冬は冬で、夏は夏でそれぞれ良いとこあるから、その時を楽しめた者勝ちだよ」
「なんかムカつくわぁ」
「まぁまぁ、眠いなら寝ときなよ。ベッドまでちゃんと運んであげるから」
腕の中の銀様の視線が怖いので見えないようにするべく、銀様の背中に回した腕を引き寄せ、銀様をしっかりと抱き寄せた。

俺を叩いていた銀様の手も、いつの間にか止まっていて、
気が付けばその手は、ちょんと、摘まむように俺の服を握っていた。
夏用の風通しのいい綿シャツ越しに、銀様の息遣いを感じ、自然と歩みが速くなってしまう、
そんな、深夜1時頃の話。

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時刻は多分正午過ぎぐらい。
いつの間にか、季節は秋に、それどころかそろそろ冬になるらしい。
薄いカーテン越しに見える太陽は、この前までギラギラと刺す様な熱さを投げかけていたのが一転。
陽射しはポカポカするような、柔らかい暖かさを届けてくれる。
ふと吹く風がカーテンを揺らし、その隙間から真っ青な空の様子が窺える。
ちらりと覗くその光景は、文字通りスカイブルー一色で、これ以上無い青色をしていた。
引き寄せられるほどの青。
見惚れているとすぐにカーテンがぐったりと垂れ下がり、空を閉ざした。
また風が吹かないか、じっと見つめ続ける俺の額に、ふと何かが触れた。
「顔色はマシになったけど全然治まらないわねぇ」
俺の額にちょこんと手を乗っけた銀様は、眉を顰めて神妙な面持ち。
ポツリと呟いたその声はいつもの銀様らしからぬ声音だった。
それもその筈。現在、風邪でダウンしている真っ最中なのである。
今朝は、とりあえず銀様の朝食だけでも。と、居間に向かおうとしていたのだが、余程フラフラしていたらしい。
それすら銀様に止められたので、素直にベッドに横になったまま今に至る。
「貴方最近、あまりご飯食べてなかったでしょ?ちゃんと食べとけばそもそも風邪なんてひかないわ」
と、ベッド脇にわざわざ椅子を持ってきて、それにちょこんと座った銀様が、呆れたように言った。

咳き込みながら、ここ最近をちょっと思い返してみる。
確かにちょっと忙しくて、ご飯とか銀様が食べてるの見てるだけで、自分は食べなかったりする事も多々あった。
何度か銀様に、ちょっとでもいいから食べなさいよぉ。と注意はされたものの、全く食欲が湧かず、笑って誤魔化したことも。
結論:言われたとおり、そんなに食べてなかった気がする。
気がする、と言うか実際に体調まで崩してしまってるのだから、そうなのである。

「なんか…いろいろごめんね銀様」
掠れた声で謝った。
銀様は溜息をひとつ吐いて、
「折角久しぶりのお休みだから、貴方を使い倒してやろうと思ってたのに…できなくなっちゃったわぁ」
と、わりと真剣な表情でそんな事をさらりと述べた。
「それは風邪ひいて、ラッキーだ、ったと思えるね」
咳を合間に挟みつつ、軽口で返す。
「ホンっトに、バカじゃないの。いい迷惑よ。…そんなくだらないこと言ってられる内にさっさと治してほしいものだわぁ」
ほんの少し怒ったようにそんなことを言う銀様だが、冷えないようにと、毛布を持ってきてくれて、
照れ隠しにか、ちょっと雑に掛けてくれたり銀様なりに気を遣ってくれた。

「ちゃんと手も中に入なさ……」
銀様が俺の左手に触れて、驚きの表情を浮かべる。
「貴方の手…とても冷たくなってるわぁ」
「体調の、悪いときはいつもこんな――」
声が出なかったのは、銀様が指を絡めてきたから。
全体がしっかり温もるように、銀様は両手で俺の手を包んでくれた。
が、こんな風に手を握られるのは初めてで俺としてはちょっと恥ずかしい。
熱とは別に、体温が上昇しそうだ。
そんな俺の気持ちを知らず、「なぁに?どうかしたの?」と、本人は至って自然体。
「いや、なんでもないよ」
高揚した気持ちを悟られぬように、素っ気無く答えた。

---

「これで、ちょっとはマシになったかしら?」
「ああ、おかげ様で気分も良くなったよ」
「気分だけ良くなられてもこまるわぁ。貴方、すぐ調子に乗るもの。今日一日は寝てないとだめよぉ」
「重々承知しております」
「分かったならいいわぁ」
そう言いながら、十分に温もった俺の手をパッと放して立ち上がった。
「暇だし、本でも読もうかしらぁ」背伸びをしながら本棚へ向かう背中に声をかけた。
「なによ?」
「出来れば右手も…してくれたら、嬉しいナァ…なんてね」
俺の挙げた手を0,2秒ほど見て、
「…やぁよ。黙って寝ときなさい」
あっちを向いた銀様は答えた。


ボツおまけ

「銀様」
「なに?」
「全っ然寝れないわ、驚くほど眠くならない」
「大変ね」
「銀様」
「うるさいわねぇ、さっきから」
「本読んでるからって、ちょっと素っ気無さすぎやしないかい?」
「本読んでるのに話しかけてくるお馬鹿さんのほうが悪いでしょ?」
「………銀様、今読んでる小説の犯人って、実は麻酔の」

銀様の読んでる推理小説の犯人を言ってやろうとしたら、もの凄くぐっすり眠れました。
本当にありがとうございました。

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誰かに呼ばれた気がして、沈んでいた意識がかすかに上昇。
瞼が小さな痙攣を伴い徐々に明いて、ぼんやりする視界がゆっくりと広がってゆく。
カーテンから洩れる陽が妙に目に染みた。
手を伸ばして遮ってしまえばいいのだが、その動作で目が覚めてしまいそうで。
俺は目を強く閉じて、再びの眠りへ向かおうと努力する。
脱力の先の浮遊感に身を任せて眠りに落ちる意識を、
「起きなさい」
呟く誰かさんの声が呼び戻す。
「へぁ?銀様…、おはようござい………ます」
ものすごい間抜けた声と、大あくびとを挟んだ朝の挨拶に、
「貴方、どれほど寝る気なの?もう10時よぉ。一時間くらい前に一度起こしたっていうのに…」
これまたものすごい不満気な声音で銀様が不満を言いながら、腕を組んで立っていた。
「お腹空いちゃってるけど、もうお昼ご飯と一緒でいいわぁ。ま、とりあえず起こしておいたから、ちゃっちゃと着替えなさい」

「改めて、おはようございます銀様。温かい飲み物でも飲む?」
クッションを抱っこしたまま、ソファでテレビを見ている銀様に挨拶する。
「じゃあお願いするわぁ。そういえば今日はクリスマスよぉ」
「あ…そうだったね。まだ何も用意してないや」
「別にクリスマスだからって特別、何もしなくてもいいけどねぇ」
「ああ、ホント?まだケーキ買ってないし、夕食がインスタントになるけどいい?」
「だ、ダメよぉ!美味しいディナーと、ケーキとはちゃんと用意してもらわないと困るわぁ」
「どれだけ食い意地張って……冗談だよ?そんな怖い顔しないでよ銀様」
じと目で見てくる銀様の視線を避けて、そそくさとキッチンに逃げた。

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「お待たせしましたー」
ほの温かくなったコップを銀様に手渡す。
「何かしら?オレンジ?」
「近いね。柚子ジャムをお湯に溶かしてみました」
「ホント…体が暖まるわぁ」
俺も銀様の隣に座って、あっつあつの柚子湯をちょっとずつ飲む。
「昼飯作るには少し早いな」
「なら、それまでトランプで勝負しましょうよ」
「ババ抜きで?この前やったとき銀様ボロ負けだったじゃん」
「あれは、運が悪かっただけよぉ、今度こそ貴方を負かしてやるわぁ。泣いても知らないわよ」
この前、敗北一戦だったのが余程悔しかったのか、トランプを持ってくるや、念入りにシャッフルしている。
そんなにシャッフルするくらいなら、ポーカーフェイスに徹する方がいいと思うのだが、
毎度毎度、口元が緩んでいたり、妙に視線が泳いでいたりと、素直に何かしらのリアクションをしてしまう銀様が微妙に不憫に思えた。
まぁ、ソコが可愛いからイジめ甲斐があるんだけどね。
そうこう思っていると、
「これで完璧。絶対負けないわぁ」
銀様渾身のシャッフルが終わったみたいだ。
「銀様が勝ったら、ケーキ3つ買ってあげるよ。勝ったらだけどね」
「言ったからには約束は守ってもらうわよぉ?後悔させてやるわ」
もちろん私からよぉ。
意気揚々と俺の手札から一枚引いた銀様の顔に映るは絶望。
一枚目からババを引くという離れ業をやってのけた銀様は、「しょ、勝負はまだ決まったわけじゃないわよ」
と、震えた声で呟いて、手札をまぜている。

まぁ、俺が勝っても――というより、勝つが、2つは銀様にケーキを買ってあげてもいいかな。
サンタさんからのプレゼントということで、「サンタさんありがとう」と銀様に言わせるのも面白そうだ。
とりあえず銀様の目元がピクッと反応したカードはスルーして、その隣のカードを引きながら、そんな事を思った。
クリスマスだしね。

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「えー、色々とありましたが、無事に年を越せそうだしちょっと早いけど乾ぱ……。
ちょ!ちょっと銀様なに先に飲んで…」
「乾杯ですって?どうして私が貴方に合わせないといけないのかしら?」
銀様はコーラを2口ほど飲んで、
「か…乾ぱーい…」と缶チューハイを掲げる俺を横目に、テレビのリモコンを弄って面白そうな番組を探している。

「あら、笑ったら叩かれるやつやってるわぁ」
ころころ変わっていたチャンネルが停止、
「年越しついでに貴方も笑ったら私が叩いてあげるわ」
なんて事をけろっとした顔で言いながら銀様はソファに深々と座りなおした。
「その年越しついでに。って言う意味が分からない。心底分からないよ銀様」
「いつもの貴方なら叩かれるってだけで悦ぶと思ったのに」
ちょっと口をとがらせて呟く銀様は素直に可愛いと思った。
だが、言ってる内容には、「よ、悦ぶだなんて、そんな趣味は無いよ!」きちんと反対しておく。
「そぉ?ざぁんねん」
見上げた赤い目は、俺の反応を楽しむように数秒留まったが、すぐにテレビの方へ向かった。

色々とやりたいこともあったけども、気がつけばもう一年の終わりで。
また来年も同じように終わってしまうのだろうか。
一抹の不安めいた思考を消すためにチューハイを呷った。
「貴方だけ美味しそうなもの飲んでずるいわぁ」
恨めしそうな声に、
「銀様はすぐ酔っちゃうからダメだよ」
去年の事を思い出して苦笑しながら応えた。

俺にもたれる銀様の肩から、時折くすくす笑うのが伝わってくる。
来年もこんな風に銀様といられたらいいな。
切実にそんな事を思いながら、過ごした今年の最後。


971 :銀様生活:sage :2009/01/14(水) 23:34:01 ID:t3zvdamd0(3)
「銀様!結構大きな雪が降ってるよ。これは…牡丹雪って言うんだっけ?」
この辺では雪が降る事はあれど、牡丹雪に至っては滅多に見れたものでは無い。
「雪ねぇ。あぁ…、寒くて堪らないわぁ…」
窓をチラッと見ただけで寒さが伝わったのか、身震いしながら銀様は呟いた。
「あれ?喜んで外に遊びに行くかと思ったら…らしくないね」
「子供じゃないからはしゃいだりなんてしないわ。それより、…何か温かいもの淹れてもらえる?」

お湯を沸かしてる間の銀様といえば、テーブルに右肘をつけて手にちょっと不機嫌そうな顔を乗せ、
空いた左手の指で、テーブルをコツコツと打ちながら「ねぇまだなのぉ?」とか「気合でなんとかしなさぁい」だとか無理を言ってらっしゃる。
適当に流しつつ待っているとお湯が沸いたようだ。
「インスタントコーヒーでいい?」と尋ねると、無言で了承の合図。
とりあえず、文句を言われないように、すぐに用意を済ませて持って行く。
「はい、おまちどーさま」
銀様専用のマグカップと、温めたミルクに、電気ケトルと角砂糖、ついでにクッキーとを並べて一段落。
銀様は無言のままマグカップに少しお湯を注いで、あとはたっぷりとミルクを入れた。
一旦スプーンで掻き混ぜた後、カップの曲線に指を沿わせて「…あったかぁい」銀様はポツリと呟いた。

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たまにはちょっと甘めのコーヒーもいい。
お湯はカップ4分の3ほど、後はミルクを少しと、角砂糖を一つカップに投下。
スプーンで混ぜながら視線を上げると、非常に難しそうに眉を顰める銀様が映った。
悩める銀様の目線は、ただ一点、右手で摘まんだ角砂糖に注がれていた。
銀様の手元、ミルクをたっぷり入れたため、まるでミルクティーの様な色合いを呈しているコーヒーに、投入しようかどうか悩んでいるようだ。
「多分、入れなくても苦くはないと思うけど、甘いのがよかったら入れたら?」
お先に一口飲んでから、フリーズ寸前の銀様に提案する。
「そうよねぇ、3つは流石に甘いわよねぇ…」
危うく落としそうになったカップの柄を持ち直す。
「3つ!?もしかして既に2つも入れたの?」
「なによ。私がブラックで飲めないからってバカにしてるわけ?」
「いや全然っ!っていうかブラックとかそれ以前の問題かと思うけどね!」
ムキになって睨んでくる銀様の反応が面白いので、調子に乗っておちょくってみた。
急に押し黙ったかと思うと、銀様は相変わらず俺を睨んだまま、ずいと身を乗り出して手を振り上げ――
叩かれるかと身を竦めた俺の耳に聞こえたのは、水が跳ねた音。
次いで、
「アッハハハ!お子様な味覚の貴方が飲みやすいように甘ぁくしてあげたわぁ。感謝なさぁい!」
してやったりな笑い声。
とはいえ、銀様のコーヒーはミルクをたくさん、砂糖二つで俺のより甘い筈なのだが、とりあえず仕返しができて嬉しいみたいだ。
銀様は大いに笑い飛ばした後、クッキー片手にほとんどミルクティー化したコーヒーを口に運ぶ。
「これくらいが丁度いいわぁ」

子供味覚はどっちだよ。とは声に出さずに心の中に留めながら、甘ぁくなったであろうコーヒーを飲んだ。
やはりとてつもなく、甘かった。

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おまけ

「暑いわぁ…ちょっと火照っちゃったみたい。そういえば雪は止んだかしら?」
「あー……止んだみたいだね。ちょっと雪が積もってるよ」
「そう。…じゃあ夜風でも浴びてくるわぁ」
銀様は行動が早い。
いつの間にかマフラー片手にそれだけ言い残して出て行った。
「え?今から?流石に寒いとおもうけど…って、銀様!俺も!俺もいくよー」

ストーブを消して、ジャケットを着て、鍵を締めてたら銀様と結構離れてしまった。
滑らないように気をつけながら銀様の後を追いかける。
冬至は過ぎたと言うのに、それでも外は既に真っ暗で、雪が降り止んでるとは言えやっぱり空気は冷たかった。
白い息を規則的に吐きながら、手袋しとくべきだった。なんて思った。
少しすると、オレンジのマフラーと、街灯の色に染まった銀髪をキラキラ揺らして歩く銀様の後姿を確認できた。
俺はジャケットのポケットに手を突っ込んで、その後をゆっくり歩いてついてゆく。
「あら、貴方、ついて来たの?」
不意に振り返った銀様の一言。
「俺もちょっと空気を吸いにね…」
「そう」
「邪魔だったかな?」
再び歩きはじめた銀様の横につく。
「いいえ、もう十分涼んだから飛んで帰ろうと思ったけど、貴方が来ちゃったからそうもいかなくなったわぁ」
「そりゃ悪ぅございました」
「全然、悪い。だなんて思ってない言い方ね」
銀様は小さく笑って、自らの両手に、はー。っと息を吹きかけて擦りあわせた。

「銀様。寒いなら手、かしなよ」
「平気よ」
「あぁ…そう……」
「なぁに?その残念そうな顔は」
「いや、別にそんな風には思って無いよ」
「嘘ね。素直に、銀様お願いします。って言えばいいじゃない」
その画を想像してしまって、自分のその情け無い姿に失笑してしまう。
「それは……無いね」
切れ切れに、もくもく上がった白い息が後ろに流れてゆく。




「出しなさい」
「何を?家の鍵?」
「手よ」
銀様が折れるとは意外で、少し驚いて止まってしまった俺の脚に「さっさとなさい!」銀様のローキックが放たれた。

「平気って言ったけど、あれは嘘よぉ。もう手が冷たくって、ストーブ無しじゃ生きられないわぁ」
「じゃあ俺のも嘘。…ちょっと残念と思ってた」
「じゃあ。ってなによ?」
「まぁ、深い意味はないよ。それにしても――」
右手に軽く添えられた銀様の左手を感じる。
冷たかったけど、段々と触れてる部分が熱くなってくる。
「――どうしてかな。俺は未だにこの手が人形だなんて信じられないよ」
「何を言うかと思えば…。私だってこの手が男の手だなんて思えないわぁ」
「そりゃぁ…二度目になるけども、悪かったな」
「構わないわ。……嫌い、じゃないから」
指先をギュっと握ってくる銀様の手を意識すると、どうも首の辺りから頭頂部にかけて熱くなってくる。
ちょうど折り返し地点に到着。
街灯を目で追いかけながら長い長い帰途を、歩いてく。

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「あー。いいお湯やったよー。銀様は本当に入らなくていいの?」
湯冷めしないように、上にガウンを羽織ってソファに、銀様の隣に座って尋ねた。
「別にいいわぁ。髪も上げないといけないし…女の子って色々と面倒なのよぉ」
「子?女の子?何処にそんなのが居る゛っ!?」
銀様は肘を的確に俺の脇腹に鋭く叩き込み、
「毎度毎度思うんだけど…貴方わざわざこんな風にされたくて言ってるのかしら?ちょっと喜んでなぁい?」
咳き込む俺を呆れた表情で眺めながら続ける。
「段々打ち込むコツが分かってきた気がするわぁ。貴方のおかげね。ありがとうって言っておくべき?」
「ああ、お役に立てたなら、よかったよ…そ、それよりも、結構キクよこれ」
「そんな痛がったって謝らないわよぉ。全部貴方が悪いんだか…ん?なにかしら、この香り」
銀様は鼻をふんふん鳴らして俺の膝に手をついて身を乗り出してきた。
「この香りは…薔薇ね?」
結構近くで目を見て言うものだから、
「そ、そいえば入浴剤…入れたんだっけ。お、お風呂入ってきたらいいと思うよ?そしたら堪能できるかと…」
どぎまぎしながら目を逸らした。

「いい匂いねぇ。もっと嗅いでみたいわ」
銀様はというと、まだ膝に手を置いたまま、むしろどんどんこっちに寄ってくる。
「ちょ…銀様、近いっ!近いって!!」
「そいえば貴方、首がニガテだったかしら?そんなに怯えなくったっていいじゃない」
目はいつの間にか俺の首を見据え、嗜虐的な色さえ見て取れた。
「ひっ…や、止めて……!」
余りにも近すぎて、振り払おうにも払うことができない。
「ダぁメ。逆に、したくてしたくて堪らなくなってきたわぁ」
吸血鬼が乙女の首に噛み付くのよろしく。
銀様が、より濃い薔薇の香りを堪能すべく、齧り付くように跳びかかった。

首筋に当たる息がくすぐったいのと、
体の芯からムズムズするなんとも言えない気持ち悪い感覚とに堪え切れずに、心の底から悲鳴を上げた。
その悲鳴は口から出る際に、笑い声へと姿を変えて、銀様が満足して離れてくれるまで絶叫のように俺はただ叫ぶだけだった。
その日、その瞬間。おそらくこの世で最も苦しいのは、きっと笑い続けて窒息することなのだ。
笑いすぎて涙が溢れ翳む視界の中、確かにその瞬間、俺は悟った。

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